女性の雇用拡大が国家プロジェクトになっている今、保育園の待機児童問題解消が急ピッチで進められています。しかし、施設整備の遅れや職場の理解不足などで、復帰を妨げられ、キャリアの断念を余儀なくされるワーキングマザーたち。「待機児童」の背景には、当然ながら、働きたくとも働けない「待機ママ」の存在がある。そんワーママ達が、仕事と子育ての両立に阻まれながら人生の岐路で何を思ったのか。生の声をお届けします。<文中は全て仮名>

【前回までのあらすじ】大手教育サービスに勤める早川玲子さん。32歳になり「もう少しで部長昇進」というタイミングで妊娠が分かった。産後1年で復帰を試みるも、「150人待ち」という状況が続き、丸3年間入園が不可能。その結果、やむなく3年間の育休を余儀なくされたが、晴れて近隣区の幼稚園に入園。「いざ職場復帰!」と期待が高まった矢先の、まったく想像もしていなかった職場の冷たい反応。予想外のキャリア転落が始まり、何とか再就職の道を探すことになったが…。

全3回ルポ、上編「待機児童の実態 望まぬ育休2年延長とキャリア転落」、中編「“育休から戻ってきてほしくない”と言われた日」に続く、最終回です。

 希望しない育休取得とはいえ、3年間の仕事のブランクがあっての職探しなると、不安もありました。35歳といえば社会的には何らかのキャリアやある程度のレベルのスキルは持っていると見なされます。産休に入った32歳とは年齢的に当然違った目で見られます。「自分にはそれがあるだろうか?」という不安でいっぱいになりました。

「もう世の中の役に立たないかも…」育休中にどんどん卑屈になっていく

 タイプにもよるのでしょうが、私は産休・育休の3年間、どんどん卑屈になってしまいました。「自分はもう社会に貢献できないのかもしれない」「どこからも仕事の声が掛からないかもしれない」。周囲にも「復帰のタイミングを逃してしまい、やむをえず専業主婦になった」という人もいました。子育てによる充実感はあっても、育児だけに専念していると世の中から認められるという瞬間がほとんどなくなるのです。現在は育休中の面談を行う企業もあるようですが、私の勤務先からはほぼ放っておかれた感じでした。

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