例えば、大ピンチの波にのみ込まれそうになって、どうしようもなくなったとき、誰か一人でも、そっと支えてくれる人はいますか? たとえ今いなくて「頼れるのは保育園(幼稚園)か学童だけ」という人も大丈夫。動き続ければ、きっと自分のことを理解し、寄り添ってくれる人と出会えるはずです。ポイントは諦めないこと。今回はファミリー・サポート(ファミサポさん)に注目し、3つの記事を掲載します。中編では、前編の「ANA 管理職ママCA『ファミサポさんに感謝』」に登場した共働きCAママさんの育児を実際に支えてきた、ファミリー・サポート提供会員の活動とその思いを紹介します。

 多くの働くママやパパにとって一番身近なところにいるサポーターといえるのが、地域の「ファミリー・サポート・センター事業」。この事業が始まった20年前から、地域の子育ての先輩達が有償ボランティアとして、保育園や習い事の送迎、親の病気時の子どもの預かりなど、現役子育て世代のピンチを助けてきました。

 でも、まだお願いしたことがない人には「どこまでお願いできるか分からず、頼みづらい」「他人にわが子を預けるのが不安」という思いもあるかもしれません。この不安を解決して、ファミリー・サポートの長所をうまく活用できるようになるにはどうすればいいのか──。まずサポートをする側の声として、共働き家庭を支えている「提供会員」の岡本紀代子さんを取材しました。岡本さんの経験や思いからあふれる言葉は、その答えのヒントになるはずです。

岡本紀代子さん
ファミリー・サポート提供会員
横浜市出身。67歳。貿易会社勤務後、30歳で結婚し、出産のため妊娠8カ月で退職。専業主婦生活の後、48歳で仕事を再開する。現在、無認可幼児園で保育補助としてパート勤務をしながら、横浜子育てサポートシステムの提供会員として活動中。34歳、30歳の息子と定年退職をした夫72歳との4人家族。

18年ぶりにやりがいを感じた保育の仕事

ファミリー・サポートのお仕事中の岡本さん(右)
ファミリー・サポートのお仕事中の岡本さん(右)

 笑顔が朗らかで、優しい雰囲気が漂う岡本紀代子さん。現在は、週3日、午前中にインターナショナル系の無認可幼児園で保育補助の仕事をした後、夕方以降に横浜子育てサポートシステム(以下、ファミサポ)の提供会員(支援・援助をする人)として活動しています。

 もともと専業主婦だった岡本さんは48歳のころ、18年ぶりに仕事を再開しました。次男が中学生になって親離れを感じたとき、「子どもに関わる時間が短くなった分、これからは自分が社会のためにできることを見つけたい」と仕事を探し始めたのがきっかけです。

 「最初、調理師免許の資格を取って、高校の調理実習の補助としてパートの仕事をしましたが、何かが違うと感じてしまって辞めました。その後見つけた保育園での保育補助の仕事で、『これぞ、私が求めていた仕事!』と思えました。子ども達との時間は素晴らしい発見の連続で、いつも新鮮な気持ちになれました。子ども達は私に、世の中にはまだまだ自分の知らないことがあると教えてくれたのです」

途切れない依頼に、ママ達の切実な思いを感じた

お世話している子ども達がつくってくれた折り紙
お世話している子ども達がつくってくれた折り紙

 ファミサポの提供会員として活動を始めたのは約10年前。職場の同僚だった知人からの紹介でした。

 「ファミサポの仕事が求められるのは、大半が午後5時ごろから。知人に誘われたとき、午前中は保育園の保育補助の仕事をしていたため『夕方なら』と気軽に引き受けました。そうしたら登録した途端に次々と依頼が入り、本当に驚きました。『家が近いこのママさんはどうでしょう』『この人は?』など色々な方(利用会員:支援・援助を受けたい人)を紹介されたのです。『もうこれ以上は無理です』と断っても、『そこを何とか』という状態でした」

 当時、岡本さんの活動地域は、子育て世代向けの住宅が増えていたのを背景に、待機児童数が増える一方でした。岡本さん自身、ファミサポへの切実なニーズを身をもって感じたといいます。

 「ファミサポの活動は週3日を基本に、要望があれば土日も働いています。ただ、援助活動を始めたばかりのころは、『あと1日だけでも』とよく頼まれました。ご両親が仕事で忙しく、平日5日間のサポートが必要なご家庭を連日担当したり、同じ支援会員の友人と2日と3日に分けて担当したり、できるだけ要望に応えられるようにしました」