「一家はひとつ!」と、私の単身赴任に反対したのは、当時5~6歳だった娘

―― 大阪の民間人校長になるかどうか迷っているとき、娘さんはまだ保育園児だったと思うのですが、どんな形で相談したのでしょうか?

平川 まだ保育園児で、当時5~6歳だったと記憶していますが、遠方への就職に一番反対していたのが娘でした。

 私と一緒に関西に来るか、それとも祖父母と一緒に東京で暮らすか、どちらがいいか聞いたところ、「どちらも嫌」という答えが返ってきたんです。「家族が離れて暮らすなんておかしい。今までずっと、ママとじいじ、ばあばとみんなで一緒に暮らしてきたのだから、この家族はこれからも一緒にいるべきだと思う」と言うわけです。

 まだ保育園児の娘にそんな決断を迫るのもどうだったのかと思いますが、「一家はひとつ!」と断言されたときに、「これはもう仕方ない。諦めるしかないな」と思ったのを覚えています。

 それまでは、リクルート時代も、会社経営をしていたときも、「この仕事はいけそうだ!」と思ったら、自分で決めて、すべて挑戦してきたので、やりたい仕事を諦めるという経験をしたのはこのときが初めて。本当に悔しかったですね。家族のためにやりたくてたまらない仕事を諦めるサラリーマンって、こういう気持ちなのかしら……と思ったりしました(笑)。

―― 5歳か6歳ながら、きちんと自分の気持ちを伝えられる娘さん、素晴らしいですね。このとき、娘さんと一緒に関西に行く場合、娘さんの進学先としては私立の小学校を検討されていたのですか?

平川 とても行かせたい私立の学校が関西にあったんですが、主体的に学べる良い学校って田舎にあることが多く、寮生活をさせざるを得なくなってしまうんですね。でも間違ってはいけないのは、家庭教育の方が学校教育よりも大切だということ。何があっても学校教育を優先させてはいけないと思うんです。

 それなのに、当時の私は、家庭教育というのが基本にあって、その上に学校教育があるっていうことをポーンと忘れてしまっていて、「とにかく良い学校に行かせたい!」という気持ちが強かった。私も含め、親であれば誰もがそうなってしまいがちなんですけどね。

 でも、「家庭教育が基本だからこそ、自宅から近くて無理なく通うことができる公立の中学校で、主体的な教育ができるようにしたい」と決意を新たにし、横浜市の民間校長試験を受けました。大阪の民間人校長を受けた経験が、今の仕事にもつながっているのです。