学力は何のためのもの?

 男の消費財としての女という前提に立てば、女の若さや見た目は価格に直結する。そういう前提で育てられた女は「市場価値の高い男たちが欲しがる、高値のつく自分」しか認めることができなくなる。高い学力に恵まれながら、結局は自分を男に選ばれた女としてしか誇れない彼女の貧しさは、刷り込まれた偏狭な女性観によるものだと思う。その同じ刷り込みを、娘にも与えるのか。


 「あんたはブスだから欲しがられない、だから一人っきりで生きていけるように学力で武装しろ」と。学力は、人を孤独に囲い込むものためのものか? 彼女は、娘から学ぶ喜びまで奪おうとしている。学ぶことは、人を自由にすることに他ならないのに。

 そして世の中には、学ぶ喜びを分かち合うことを豊かだと考える人がたくさんいる。相手を愛玩して消費するためでも、自分の値をつり上げてもらうためでもなく他者と出会える人は、たくさんいるのである。


 見た目の美醜に関わらず、彼女が娘に教えるべきことはそれではないのか。あなたが誰でも、世界はあなたを歓迎する、あなたは世界を信じていいと。

 それは親が子どもに言ってやれる、唯一のことだと思うのである。