――純子さんが小学生のとき、お母さんは働いていてあまり家にいないことで、さみしく感じたことはありませんでしたか?

純子: さみしいと思った記憶は無いですね。妹がいたというのもあるかもしれませんが、マイナスに感じることは無かったように思います。

松久: 僕が、他のお店で職人として働いていた時代は休日があったので、休みの日の夜はできるだけ家族と一緒に過ごすようにしていました。僕は料理人なので、家で誰かの誕生日や記念日のときには、卓上コンロで海老や野菜をてんぷらにしたり、すしを握ったりすることもありました。家族との食事は、僕にとっても非常にうれしい時間でした。そのうち、店が忙しくなり、子ども達と一緒に過ごせる時間がなかなか取れなくなってしまいましたけど。

純子: そうだ、よく家で料理を作ってくれたよね。

私達の娘なんだから、信じてあげましょうよ

松久: 子どもは成長していくと、親より友達が大事になっていきますよね。きっと、皆さんも経験があると思います。

 ロサンゼルスでは、週に1回、日本語学校に行かせていたのですが、お父さんの駐在で来ているお子さんも多く、転勤で日本に帰る家庭もあったんです。

 それで純子が「私も日本の大学に行きたい」と言い始めました。親としては、遠く離れてしまうのは心配。でも女房が「私達の娘なんだから、信じてあげましょうよ」と言って、「じゃあ、一生懸命勉強して、試験に受かったらいいよ」と。

純子: そして日本の大学に入りました。親から「あなたを信じている」といつも言われていたので、なんだか悪いようなことはできないという気持ちは常にありました。何かしようと思ったときに、親の顔がまず頭に浮かびますから。

松久: 結婚して今年で42年ですが、様々な家族の歴史がありますね。海外あちこちに行きましたが、「家族は我々4人だけなんだ」という血のつながり、家族の絆をいつも感じていました。家族で乗り越えられたことがたくさんあったと思うからです。

 後編では、グローバルに展開する松久さんのビジネスについて、そして純子さんの子育て、松久さんの孫育てについてお伝えします。

松久信幸さん
レストランオーナーシェフ。1949年埼玉県で材木商の三男として生まれ、父を7歳のときに交通事故で亡くす。14歳のときに訪れたすし店で、その雰囲気とエネルギーに魅了され、すし職人になると心に決める。海外へ移り住み、ロサンゼルスに店を構えたとき、和をベースに、南米や欧米のエッセンスを取り入れたNOBUスタイルの料理が人気を呼び、それ以降はニューヨークやイタリアなど世界中で次々と店を成功に導く。2013年4月にはアメリカのラスベガスに「NOBU Hotel」をオープン。現在、5大陸に35店舗を構え、NOBUスタイルの和食を世界の人々に味わってもらおうと各国を飛び回る。松久さんの長女、松久純子さんは「NOBU TOKYO」と食器やNOBUのロゴ商品を扱う「MATSUHISA JAPAN」 代表。4歳児の母であり、共働き家庭でもある。

(文/西山美紀 撮影/小野さやか)

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松久信幸・著/ダイヤモンド社

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