その後、アラスカで日本料理店を出さないかという誘いがあり、「頼むから、もう一度オレにチャンスをくれ」と妻に頼み込んで、家族でアラスカへ渡る。ところが、そこで「もう自分の人生を終わりにしよう」と思うほどのどん底を味わうことに…。長女・純子が3歳、次女が1歳のときだった。

「道を間違えそうになったときに引き戻してくれるのは、夫婦の信頼関係だと思います」
「道を間違えそうになったときに引き戻してくれるのは、夫婦の信頼関係だと思います」

松久: 今度こそという思いで借金をして、アラスカへ渡りました。僕もノコギリや金づちを持って、半年間くらい工事を手伝って。そうして無事、日本料理店をオープンさせたんです。お客さんの入りも良く、ひと安心でした。

 ところが、オープンから50日、休業日に不意の出火によって火事が起こってしまったのです。せっかくのお店が……何もかも焼失してしまったんです。

 「ああ、僕の人生、これで終わりだ」と思いました。

 体は動かず、何も食べられず、水さえも飲んだらすぐ吐いてしまうという極限の精神状態。白いごはんが目の前にあっても、食べずに手で握り潰してしまう。「自分の人生、ギブアップだ」と、どうやって死のうかということばかり考えていました。

絶望の縁で励みになった妻と子ども達の存在

 そんなときに支えてくれたのが、妻と子ども達でした。店が焼失してしまった直後は家族がいることにすら頭が回らないほどの状態だったのですが、そのうち、子ども達の存在に気づき始めました。僕がずっと家にいることが珍しくてうれしいようで、キャッキャと喜び、足元にしがみ付いてくる。そこで、ハっと我に返りました。「この子達のために、家族のために、よし、もう一度やってみよう」と。

 当時の苦しみは、40年近く経った今でもよく覚えています。「絶対にあの時代には戻りたくない」という気持ちで一生懸命走ってきた気がします。僕、内心はすごく怖がりなんですよ。あの時代に戻らないようにするために、無我夢中で走り続ける。だから今、いいかげんな気持ちで仕事をしている人を見るとカチンときてしまって(笑)、「お前ら、与えられたチャンスなんだから、もっと一生懸命生きろよ!」と思わず言ってしまいます。

――松久さんが、そういうつらい精神状態のとき、奥様もさぞかしご心配だったかと思います。

松久: 女房の気持ちは分からないですけど、いつも僕を信じてくれていたのは確かです。「この人だったら、どこへついていったとしても、きっと何かをしてくれる」と思ってくれていたみたいです。

 結婚をするということは、お互いを信じ合うことだと思うんです。パーフェクトな人間なんていませんから、結婚後も色々な問題が起こります。でも、常に信じてくれる人がそばにいると、道を誤りそうになっても、元に引き戻ることができる。それが、夫婦なんじゃないかなと思います。

 女房は、純粋でおおらかで、人を疑うということをしない人。僕がチャレンジするといっても、ただ黙って信じてくれている。男としては、信じられたりすると、あまり無茶はできないものです。とんでもない方向に行きたいと思っても、行けなくなります(笑)。……ということは、実は僕は、女房の手のひらの上で転がされているのかもしれませんね。

松久純子さん(以下、純子): 私は小さいときの海外での記憶はあまりありません。けれど、自分自身が子ども(4歳の娘)を持ってみると、当時の母が小さな子どもを抱え、未知の海外、未知の世界へ飛び出す父に、よくぞついていったなと驚いてしまいますね。

 もし私が今、夫から「仕事はどうなるか分からないけど、一緒についてきてほしい」と言われたら、正直ちょっと考えてしまう(笑)。最近母に、「あのとき、よく行ったわね」と話したら、「夫と一緒にいたかったから。未知の世界かもしれないけど、世界は“空”で一つにつながっているから大丈夫。別に何の心配も無いわ」と言っていました。本当にすごい母です。