我が家の場合は私が稼いだ方が、経済的に安定する。出会った時35歳だった夫は、実家の米屋を手伝い、小遣い程度のお金をもらって過ごしていた。結婚も、子どもを持つことも諦めていたそうだ。質疑応答で「ダンナさんは山口さんが働き、自分が家事育児をすることについてどう折り合いをつけたのですか?」と質問された。「折り合いも何も、彼は私に会って『神風が吹いた』と言ってます」と答えると、爆笑が返ってきた。

 現在47歳の夫は、ときどき幼稚園時代や高校時代の友人と飲みに行く。家のローンを完済した、部長になった、子どもが大学に受かったなんて話を聞いて帰っても、彼は全く動揺しない。息子のオムツを替えながら「いや~俺が一番勝ち組やな~嫁が稼いでくれるねんから」と浮かれているほどだ。でも、その大らかさのお陰で、私は思い切って仕事に集中できる。

子どもにも役割を与えよう

 夫の介護パートが夜に及ぶ時は、私が1人で子ども達を食べさせ、お風呂に入れ、寝かしつける。どちらも家事育児をこなせるから、ハイタッチして役割交替ができる。家族は同じ船に乗り、人生という海を行く。漕がなきゃ(=稼がなきゃ)前に進めない。乗組員のケア(=家事や育児)をしなければ疲れてしまう。子どもだって乗組員の一員だ。成長とともに、どんどん役割を与えて家庭の問題を「自分事」として考えられる子どもにしたい。

 高校生のキャリア講演で、「男も女も『家事力』と『稼ぎ力』の時代」と話す。生徒たちに、自立して家を出る前に男子も女子も「家族全員の夕食を、1人でプロデュースしてごらん」と伝えている。冷蔵庫にある物を見て、家族の好みや帰宅時間を考えて、予算を考えて料理を作る。どれだけ自分が家族に大事にされていたか、または忙しい中で精一杯のことをしてもらっていたか、きっと気づく。

 私が尊敬する指導者に、「弁当の日」を始めた竹下和男先生がいる。小学生が自分で献立を決め、材料をそろえ、朝早く起きて弁当を最初から最後まで1人で作る。「親は手伝わないで」と訴える。その実践と成果は『“弁当の日”がやってきた―子ども・親・地域が育つ香川・滝宮小学校の「食育」実践記』(自然食通信社)に詳しい。子どもたちは自分で作る喜びや家族の苦労を感じ、段取りや知識を身につけるそうだ。家事をやるのは、家族であれば当然。そう思える大人になっていく。