最近、講演の依頼を受けることが増えた。学校運営が最優先だが、業務外の時間で可能であれば応じている。学校現場がずっと抱えている課題や協力してほしいことについて、代弁する機会になるからだ。出会った人が日本の公教育をただ批判するだけでなく、「自分事」にしてくれると嬉しい。

 先日の講演では、テーマをもう一つ提示された。「男女の役割が逆転している夫婦」は今後の女性活用につながるだろうから、話してほしいとのことだった。

家族という船の乗組員として

 会場にはビジネスで成功されている年配の方も多く、おそらく私たち夫婦の話は「ありえない」ことかもしれない。しかし、上司やトップたる男性の、「嫁に食わせてもらうのは男の恥」という偏見が、女性活用を阻んでいる。

講演や執筆の時には、できる限り日ごろの学校運営を客観視しようと努めている。完璧な運営ではないし、課題もある。一つ一つ、教職員に支えられて取り組む中での気づきを率直に伝えている
講演や執筆の時には、できる限り日ごろの学校運営を客観視しようと努めている。完璧な運営ではないし、課題もある。一つ一つ、教職員に支えられて取り組む中での気づきを率直に伝えている

 逆に、女性は「よき妻、よき母」でないことに罪悪感を覚える。赤の他人(時には身内でもあるが)の「子どもがかわいそう」の言葉に揺れる。違う。無責任な外野である“世間様”は、自分の家庭を守ってくれやしない。自分たちで、迷いながら、決めていけばいい。ちょっと家族がしんどいかな、と思ったら話し合って軌道修正すればいい。家族に貢献しないパートナーなら、一緒にいる必要はない。新たなパートナーに出会う人もいるだろう。祖父母や社会の助けを得てもいい。

 どうすれば家庭が安定するか。心穏やかに過ごせるか。子どもが体も心も元気でいられるか。