音楽のジャンルというのは、音楽業界の都合で仕分けされている部分が多分にあるんですよ。最近ではもうこれ以上分けられないというほど細分化されてしまっているけれど、本来、音楽って商業主義のマス目の中でつくられる文化ではないですよね。一説によると言語が出来る前から音楽があったとも言われています。“クラシック”にこだわって、古い音をコレクションするような気持ちで聴いても、あまり意味はないんじゃないかな。

 そもそも、何を音楽とするのか。よく考えてみると、僕らは日常生活の中で無意識のうちに音楽を聴いています。関西弁のアクセントなんてそれ自体音楽のようなものですよね。工事現場にも、歯医者さんにもそれぞれの音がある。これだけ文化がシャッフルされてしまっている現代においては、“初めにバッハを聴いて次に何を聴いて”ということをやるより、日常の中の様々な音を含めて、音楽に耳を傾けたり、音を“観る”ようにしながら、“この音楽、こんなこと語ってるよ”“こんな場面が見える”“こんなふうにわくわくする”と感じ取るようにしていけたらいいのでは、と思います。

音楽ファン、日本に多い“コレクター”、欧州は自由で勝手な“クリエイター”

――宮川さんのコンサートは楽しい、と定評がありますが、どんなことを心がけていらっしゃるのでしょうか。

 日本のコンサートが“敷居が高い”と思われがちなのは、日本の音楽ファンに“コレクター”タイプが多いからだと思うんです。Aフィルと比べてBフィルは良かったとか、〇年の演奏は良かったとか、すぐそういう比較をして自慢したがる。

 けれどフランスやドイツの音楽ファンは“クリエイター”タイプで、もっと自由ですよ。演奏を聴くと“宇宙の摂理を感じた”とか“人生の縮図を見るようだった”とか、勝手なことを言う(笑)。でも、そういうふうに型にはまらず、自分の感性で音楽を感じるのは大切なことだと思うんですよ。

 そんなきっかけになるよう、「コンチェルタンテⅡ」のようなコンサートでは特に、音楽のジャンルの垣根を一度壊して、様々な音楽に触れてもらいながら、“何だか(音楽の)聴き方が分かったかも”と思っていただけるようにしたいと思っています。

 これから聴いていただくサマーコンサートではポップス、映画音楽、民族音楽と多彩な曲を選びましたが、クラシックからはベートーベンの「運命」を取り上げ、おせっかいと言われるくらい解説します(笑)。学術的な解説ではなく、作曲家である僕にはどんなふうに「運命」が聴こえるのか。深刻そうだからと敬遠する人の多い曲だけど、実はベートーベンはこの曲の中でとても調子のいいことを言っているような気がする。僕にはこういってるように聴こえますよ、というのをお話しします。“そう言われるとそうだな”なんて思いながら、楽しんでいただけたらと思います。

「様々な音楽に触れてもらいながら、“何だか(音楽の)聴き方が分かったかも”と思っていただけるようにしたい」と宮川さんが言うコンサートとはいったいどんなものなのか。百聞は一聴にしかず(?)というわけで、すみだトリフォニーホールで開催された、新日本フィルハーモニー交響楽団のサマーコンサートを聴いてみることにします。