理系科目への興味、米国では男女に違いはないのに……

 別のデータをお見せしましょう。一口に理系といっても、いろいろな科目がありますが、それぞれに対する興味が男女でどう違うかです。最近公表された公的調査の結果をもとに、日米比較の図をつくってみました。

 日本は男女で図形が違って、女子のほうが物理や化学、地理への興味が低いですが、アメリカは、ほぼピッタリ重なっています。海を隔てた大国では、理系科目への興味に性差はないようです。理系への興味(適性)の男女差は、生まれながらにして決まっている? トンデモナイ。「社会的」なものなんですよ、やっぱり。人間は「社会的」につくられる。これは、私が専攻する教育社会学の基本的なテーゼです。

 はて、わが国ではどういう事態になっているのでしょう。家庭や学校において、女子が理系に進みたいと口にしたとき、「女の子なのに…」と歓迎しないようなそぶりを親や教師が見せていないでしょうか。理科でよい成績をとることを期待されていると感じる生徒の割合は、女子よりも男子で高いという調査結果もあります(村松泰子『学校教育におけるジェンダー・バイアスに関する研究』東京学芸大学、2002年)。子どもに対する役割期待が、性によって異なることを示唆するデータです。

 また、役割モデルの欠如もあるかと思います。みなさんもご存じのように、中高で理科や数学を担当する教員の多くは男性ですしね。「女子は理系に行くべからず」というジェンダー・メッセージとして生徒に伝わっていないか、という懸念も持たれます。そうなると、中高の理科教員の*%は女性にするという数値目標も必要かもしれません。ちなみに欧米諸国では、中学校の理科教員の半数以上が女性です(OECD『TALIS2013』)。

 現在、国の政策としても、リケジョを増やす方針が打ち出されています。ご褒美(補助金)が出るのか知りませんが、各大学の理系学部も、女子学生を引っ張りこもうと一生懸命。某国立大学の工学部は、イケメンの写真入りの入学パンフを女子高生に配っているそうな。

 そういう取り組みもいいですが、われわれはもっと、人生初期の人間形成の過程をつぶさに観察する必要がありそうです。目を凝らして見るならば、女子の理系タレントが人為的に潰されている事態が、少なからず見受けられることでしょう。「ヒト」しか資源のない日本にとって、看過できない問題です。

 教育社会学の観点から、見えざる「ジェンダー的社会化」の存在可能性について述べてみました。みなさんの育児方針に口出しするつもりはありませんが、日々の子育ての実践をちょっと振り返ってみようかな、という方が幾人かでもおられるなら、私の意図は達成されたことになります。

 次回は、年収についてのお話です。男女の差、正規・非正規の差、学歴の差…。身も蓋もないリアルを見ていただこうと思います。