その日は朝から嫌な予感がしていました。
 まさに思春期ど真ん中だった娘は、その時期に母親と女同士ならではの複雑な衝突を繰り返していて、お互いにストレスが最高潮にたまっている状況でした。
 僕はその日、前日に金沢で講演を終えて、翌日に岡山での仕事が入っていたので新幹線で向かっていました。岡山駅に到着し、ホテルにチェックインした瞬間、ケータイがブルブル! と鳴りました。妻からの着信です。出た途端、「あの子が家出した!」という声。着の身着のままで出ていったらしいので、多分、お財布も持っていない。飯を食う当てもないでしょう。
 僕の行動は一つしかありませんでした。「分かった。帰るから」と言って、新幹線にまた飛び乗って東京に戻ったのです。

 新幹線が京都を過ぎたころ、娘からメールが来ました。母親への不満が長々と綴られたメールを読みながら、無事であることを確認してひとまず安心。「パパは今戻っているから、いつものファミレスに来い」とメールを打ちました。多分、この時点で「家に戻れ」といっても無理でしょうから、まず家の外で会うようにしました。

「傾聴と共感」に徹する4時間 家族をつなぐ大事な時間

 無事にファミレスで娘と対面できて、僕と娘の二人の時間が始まりました。ジュースを飲んでホッとしたのでしょう。娘はポロポロと涙をこぼしながら、母親に対して抱えるわだかまりのような気持ちを語り始めました。こういうとき、父親は「それはお前が○○なのが原因だから、こうすればよい」とつい課題解決的助言を送りたくなりますが、ぐっと我慢。「傾聴と共感」にひたすら徹するのです。「そうだなぁ。わかるよ」とひととおり、娘の気持ちに寄り添って、娘が落ち着きを取り戻してきてから、次は「妻のフォロー」です。
 「でもなぁ、ママもさ、大変なのかもしれないぜ」。実際、妻はフルタイム勤務をしながら3人の子育てをし、ハードな毎日を送っていました。