これまで黙っていた妻の病気、初めて上司に打ち明ける

 このタイミングで、宮田さんは初めて上司に妻の病気のことを打ち明けた。

 「当時、私は39歳。そろそろマネジメント職が回ってくる年齢でした。妻の具合が悪化したら早退しなければならないし、子どもにもまだまだ手がかかる。地方在住の両親は70代も半ば過ぎ。体力の衰えも目立つ。とてもサポートを頼む訳にはいかない。そんな状況のいま、マネジメントの辞令が出ても、この状態ではとても引き受けられないどころか、通常の仕事でも迷惑をかける可能性があると思ったんです」

 今まで打ち明けずにいたのは、妻はどうにか小康状態を保っていたし、言えば出世に少なからず影響するだろうと思ったから。しかし、今回のように症状が急変したら、もう黙っているのは難しい。出世は多少遅れても、自分ができる範囲の業務で最大限価値を発揮しようと決意した。

 幸い、企画部門の仕事は、比較的自分でスケジューリングがしやすかった。ミーティングなど動かせない予定はコアタイムに入れ、それ以外の時間は極力「突発事項」に対応できるように組んだ。妻の症状も、薬の内容を大幅に見直したことで、症状急変から1年で少しずつ改善し、結果的には宮田さんが早退しなければならないほどの事態にはならなかったという。

やっと安定してきた生活スタイルだったが

 それから5年経った現在――上の子は高校1年生、下は中学1年生になった。世に言う「反抗期の盛り」の年齢だが、父娘の中はすこぶる良い。

 「進路のこと、部活のこと、学校の友人関係のこと、何でも話してくれるし、相談もしてくれます。私が作ったお弁当も、喜んで食べてくれますしね。『お父さん、どんどんお弁当づくりがうまくなるよね。今日のタコさんウインナーはなかなか女子力高かったよ!』とかね(笑)。妻の症状もどうにか落ち着いてくれていて、再び学校行事くらいには時々顔を出したりできるようになりました。とはいえ、いつ突然悪化しないとも限らない。無理をさせないよう、娘と3人でできる限りの家事をしています」

 「普通」とは少し違う形ながら、宮田さん一家ならではの生活スタイルが、ようやく安定して来た格好だ。

  しかし半年前、自身のキャリアを考えさせられる出来事があった。