彼らにとって、家事はあくまでも「してもらう」か「手伝う」もので、「する」ものではない。そもそも家事が何だかわかっていない。

ママに感心してもらいたくて家事をするって何だそれ?

 たとえば汚れた皿を洗うのは、また使えるようにするためで、ママに感心してもらうためじゃない。だがそれをはき違えた男達は、自分が慣れない手つきで洗った皿を見た妻が、より効率的なやり方を指南すると「せっかくお手伝いしたのにダメ出しかよ!」と拗ねる。あげく「家事ハラ」を誤用して妻を鬼ヨメ呼ばわりするとは、まったく噴飯ものだ。

パースの自宅の家事室。夫婦二人ともなんでもできますが、夫は洗濯物を畳むのが、私は料理があんまり好きじゃない。一方、庭仕事は私がやり、子どものお弁当は夫が作ります。
パースの自宅の家事室。夫婦二人ともなんでもできますが、夫は洗濯物を畳むのが、私は料理があんまり好きじゃない。一方、庭仕事は私がやり、子どものお弁当は夫が作ります。

 子どもだって、顔を洗ったり服を着たりするのをいつまでも親にしてもらったりしない。まして大人が自分で食べるものを作ったり、散らかしたものを片付けたり、自立できない人の世話をするのは当然のこと。多忙や共働きを理由に家事や育児を外部委託することはある。私もそうやって夫婦で子育てを乗り切ってきた。だけど、「めんどくさいことはしたくないから」という理由で家事や育児をしないのは、自立した生活を放棄しているのも同然だ。