今年の3月、埼玉県富士見市のマンションの一室で2歳の男の子が亡くなっているのが発見された、いわゆる「ベビーシッター事件」。子育ての当事者にとって、あの事件は未だ記憶に新しいだろう。当時、わが子を失った母親に対し「見ず知らずの人に子どもを預けるなんて」という批判が挙がった。果たして、あの事件を対岸の火事とやり過ごしていいのだろうか。

大勢の取材陣に囲まれ、わが子を亡くしたにもかかわらず、振り絞るような声で世間に謝罪していた母親の姿。20年以上保育の問題を取材してきたジャーナリストの猪熊弘子さんは、彼女の手がとても荒れていたことに注目。そしてこの事件の背後には、預ける側・預かる側の双方に「貧困」の問題があると指摘し、「この事件には今の日本で子育てをする人が抱えている問題がすべて凝縮されている」と振り返る。

17年前と何も変わっていない育児の現状

 「17年前と何も変わっていない」

 これが、ベビーシッター事件の報道を聞いた猪熊さんの事件に対する第一印象だった。そして、とっさに思い浮かべたのが、17年前、自らの子と同じ保育園に子どもを通わせていた1人の“ヤンママ”の姿だったという。

 市営団地内の公立保育園。 150世帯、210人定員の保育園で、猪熊さんは子どもを預けて2年目に父母会の会長を務めた。その園の保護者は、有名企業に勤めるバリキャリのママから、ヤンママ、ギャルママ、生活保護を受けているシングルマザーまで。役員も同様に顔ぶれは多種多様。

 「マイルドヤンキーなんて生易しいものではありません。会長の私はまるで“レディースの頭”。向こうから金髪のママが『会長~!』と呼びながら走ってくる。筋金入りのバリバリのヤンキーママも多かったけれど、それが私には面白かった(笑)」(以下、すべて猪熊さん)

 さらに、父母全体の3分の1を占めていたのは、ペルー、中国、韓国をはじめとする外国人ママだ。そんなダイバーシティのるつぼのような環境。中国人のママに餃子の作り方を教えてもらったりという楽しいひとときもあったが、やはり集団組織の構成員としてコミュニケーションをしていくのは難しかった。言葉の壁以上の苦労も多かった。

 突然、子どもを残して蒸発してしまったママもいた。

 突然シングルファーザーになることになったパパは、大変だっただろう。しかし、子どもとの生活を維持していくためには、朝5時には出勤しなければならない。そんなパパに代わって、仲の良いママ達が当番制でその子どもの面倒をみていた。こうした素晴らしい助け合いの文化もあるコミュニティでもあった。

 若くしてシングルマザーになったママ達は、実姉や家族に頼りながら生活を切り盛りしていたが、例えば昼間、児童館でバイトをしたとしても稼げる時給はせいぜい700円。これではベビーシッターを頼むこともままならない。子どもが寝静まってから働きに行かざるを得なかった。つまり夜の仕事を始めるママも少なくなかった。当時は「コンパニオン」と呼ばれた仕事で、お酌をするだけで時給は一万円程度もらえたと聞く。

猪熊弘子さん
猪熊弘子さん