高田さんから学んだ「コンプレックスの源」
ところがどっこい。
コンプレックスや卑屈さというのは、つまるところ、自分がかなわないと思う何かが強く反応するから込み上げてくる感情、なのだと思う。団体球技しかやったことのないわたしは、それも補欠でしかなかったわたしは、根本的な部分での自信がない。ないから外国人の前に出たら気後れしたし、それがイヤで、スペインへ留学もした。
だいたい、とんでもないレベルの選手でない限り、日本でサッカーをやってたということがヨーロッパや南米で尊敬の対象になることなんかない。でも、格闘技は違う。ちょっとかじってた、というだけで、相手の目の色は変わる。
高田さんは、プロの格闘家だった。目の前の相手と向き合い、倒すことを仕事としてきた人だった。ブラジルでの高田さんは、だから日本での高田さんと何も変わらなかった。相変わらず腰は低いし、酒は目茶苦茶呑むし、あちこちから声をかけられた。リオでも、サンパウロでも、クリチーバでも。
あの時思ったのだ。もし俺に子どもができたら、絶対に格闘技をやらせよう、と。
わたしが格好いい、素敵だなと思うのは、裏表のない人である。口にせずとも、己に対する自信がにじみ出ているような人である。もちろん、すべての格闘家がそうなれるわけではないだろうが、格闘家でなければかもしだせない雰囲気というものもある。
ありがたいことに、高田さんは引退後、子どもたちを対象とした道場を始めた。
これが、我が家のご近所なのである。
虎、覚悟しとけよ。