「おばあちゃんと日本にいるから、ママだけいってらっしゃい」

―― 1998年には、オーストラリアのブリスベン総領事に就任しています。

坂東 あのときは、長女はもう成人して就職していて、次女は中学3年生でした。ハーバードのときとは違って、今度は渡航先の環境が整っているわけだから、次女を連れていくつもりだったんです。でも本人から断られてしまって。それまで子どもとのつながりが薄かったから、子どもには「おばあちゃんと一緒に日本にいるから、ママだけいってらっしゃい」と言われました。

 高校受験を控えていたこともあるでしょうが、彼女にとっては母である私よりも祖母のほうが近しい存在だったのでしょうね。禍福はあざなえる縄のごとしという言葉通り、かつて自分のキャリアを優先した報いだと(笑)。

―― お子さんの意見は尊重なさったわけですね。

坂東 そうですね。子育てで思うようにいかないことはたくさんあります。せっかく苦労して育てているのに懐かないと感じたこともあったし、正直なところ、なんで子どもを持ったんだろうと後悔することも、なかったわけではありません。

 でも今となっては、本当に子どもがいてくれてよかったと感じています。育児で思うようにならないという時期を何とか乗り切ったことも、自分にとってはいい経験だった。当時は、子育てなんて報われない仕事だと思いもしましたが、そういう時期も乗り越えることができるんだ、永遠に続くわけではないんだと実感できたことが、私にとって宝となっています。

―― 子育てを通して、いちばんつらい時期はいつでしたか。

坂東 長女が小さかったときですね。仕事で無理していくら頑張っても周囲に認めてもらえないような気がしていましたし、子育てもちっとも器用にこなせない。もう、「ごめんなさい」と思ってばかりでした(笑)。父母会にも行かない、運動会にも行かない、あれもこれも行かない、行かないばっかりやっていたのに、仕事も大したことない。

 振り返ってみると、当時は現在とは違って、男の人の働き方に合わせて仕事をしなければ一人前じゃないという気分が、自分にも社会にもあったんでしょうね。今であれば、色々な働き方があり、ワークライフバランスでいかなきゃ、男の人もそういう考えがなきゃだめよ、と声を大にして言えるんですけれど。

 言い訳になりますが、当時、私にはそう言える力がなかったし、そう言ってしまうと「じゃあ、辞めたら」と言われる雰囲気だったんですね。世の中は5年、10年では変化が分からないかもしれないけれど、30年も経つとやはり働く女性を取り巻く環境が大きく変化してきていることを実感します。