母親には謝礼も 週末は自分で子どもの面倒を見て、羽を伸ばしてもらう

―― それでも、土日は仕事をせずに、お子さんと過ごすようにしていらしたんですよね。

坂東 まあ、母と子ども達両方への罪滅ぼしですね(笑)。母に対しては「週末くらいは、どうぞ自由にしてください」って。 

 母は買い物好きだったからデパートに出かけたりしていました。それから、短歌も好きでしたので、短歌を習えるところを私が探して紹介することもしました。そこで趣味を通じてお友達ができて、母も東京での生活になじんでいきました。

―― お母様の東京での生活を充実させようと、色々試行錯誤されたのですね。

坂東 そうですね。母も若いころは東京で暮らしてみたいと憧れていたようです。けれども、田舎で結婚しておしゅうとめさんと同居することになり、自分のことは二の次になりました。それが60~70代になって、東京で文化的な生活をするという夢がかなえられたと言っていました。

 週末は私が子ども達を見ているので、その間に歌舞伎を見に行ったり、短歌の会に行ったり、好きなことをしていました。70代はまだまだ現役という感じで、人生を満喫していましたね。

―― 育児方針でお母様とぶつかることはありませんでしたか。

坂東 普段、子どもの面倒をお願いしているからには、もう全権委譲ですね。先ほど触れましたが、母は買い物が大好きだったんです。だから私は、子ども達が着る服を選ぶという喜びを諦めて、すべて母に任せていました。

 子育てには色々とお金が掛かりますから、その分は母に渡していました。だから年金は母が自由に使えるお小遣いという感じでした。協力してもらっているなら、絶対にお金はきちんと渡さないとダメ。子育てって、いくら楽しんでいてもやっぱり何かしらフラストレーションがたまりますよね。だから、それに報いる感謝の気持ちを経済的にもちゃんと示すことが大事だと思います。

 教育面では、母は子ども達をひたすら甘やかすおばあちゃんでした。お勉強なんてしなくていいのよ、というふうでね。絵本を読んだりはしてくれたけれど、子ども達と一緒にコタツでテレビを見ているほうが多かったり(笑)。

 もうちょっと勉強させてもらわないと困るなと私は思っていたけれど、そこはまあ、しょうがないですよね。母が育児の当事者で、いちばん長い時間一緒にいるわけだから、やりたいように任せるしかありません。こちらはお願いしているわけですから。

 だから私の影響力はあまりなかったですよ(笑)。勉強させようと塾の手続きをしたのに、「嫌がっていたから塾はやめさせたわ」なんて母から言われたこともありました。