―― 2人のお嬢さんは12歳差ですよね。それは計画的だったのでしょうか。
坂東 というよりも、最初の子を育てているときには、もう一人は無理だと思っていたのです。
26歳で長女を産んだときは総理府(当時)に入って3年目。職場では言われたことをするだけで特別な能力も裁量権もなく、仕事に自信も持てませんでした。
まだ信頼関係も築けていませんでした。周囲から、この人は本当に仕事を続ける気はあるのか、子どもを産んだら仕事を辞めるんじゃないかという目で見られているような気もしていました。女性が少なく、(周囲も)どう対応していいか分からなかったのかもしれません。
現在のように育休制度も整っておらず、出産前後に6週間休んだだけですぐに復帰しました。子どもが熱を出しても仕事を休んではいけないと思っていて、物理的にも精神的にもものすごく無理をしていました。
そして無理をすればするほど、私はこんなに頑張っているのにみんな認めてくれないと感じて涙することも多く、とても苦しい時期でした。
だから、同じ条件ではとても2人目は産めないと思っていたのです。私はいい母親じゃないから、こんな母親のところに来る子はかわいそうだ、と。
不得意な土俵で相撲を取るのはつらい だから働き続ける道を選んだ
―― それでも、仕事を辞めようとは思わなかったのですか。
坂東 それはないですね。私は専業主婦に本当に向いていないということが、明らかでしたから(笑)。
こんなことがあったんです。大学時代の友人の一人が、専業主婦という道を選びました。英語が得意で、大変優秀な女性だったのですが、彼女自身は、専業主婦として生きる以上、英語が話せることより家事を完璧にこなせるほうが重要だと感じていた。そして、自分が優秀な主婦でないことをとてもつらいと嘆いていたの。
私は彼女の話を聞くことで、自分の得意でない土俵で相撲を取るのはつらいことなんだと理解できたのです。私は専業主婦という土俵では劣等生になると分かっていたから、それは嫌だという気持ちがはっきりしていたのね。ですから、仕事を辞める気は全く起きませんでした。もし、仕事も家事の両方を立派にできる人だったら、もっと迷っていたかもしれませんね。