学童保育の基本について学ぶ短期集中連載。第1回「学童保育って何?」、第2回「学童本来の役割って」に続く第3回は、学童がどうやって生まれ、今日に至ったか、学童の歴史を勉強しましょう。教えてくださるのは、40年にわたり学童保育に関わり、厚労省の「放課後児童クラブの基準に関する専門委員会」にも委員として参加した児童健全育成推進財団企画調査室の野中賢治室長です。
自然発生が先、枠組み作りは後から
――学童保育とはどんなところで、どんな役割を持っているのかを、2回に渡り教えていただきました。なかなか本来の役割を果たすのが難しいことも理解しました。学童保育がこれからどうなっていくのかを教えていただく前に、過去を振り返ってみたいと思います。今まで学童保育はどのようにして発展してきたのでしょうか。
学童保育は意外に歴史が長いんです。発生から広まるまでには、いくつか流れがあります。その成り立ちを、社会の動きとからめて大まかに見ていきましょう。
学童保育の必要性は昭和初期から言われていました。戦時中は、父親が戦地に行ったために母親が働かなければならなくなった家庭のためという位置づけの施策がありました。戦後は、1948年に大阪の今川学園がセツルメント活動(社会福祉事業)として学童保育を行ったのが始まりといわれています。なお、東京墨田区にある興望館は戦前からのセツルメント活動や保育活動をやりながら、戦後すぐに小学校にあがった子どもも一緒に見ていて、1956年にはそこの『青少年クラブ』が児童厚生施設の認可を受けています。
学童保育が最初に全国的に広まるきっかけになったのは、昭和30年代後半からです。ちょうど高度成長期で、産業構造が変わり、働く方が増えた時期でした。保育の必要性が出てきて、全国的に保育の整備が進みました。“ポストの数ほど保育所を”という言葉が生まれたのもこの時期です。
保育所を卒園した後の子どもの保育ということで、学童保育の必要が言われ始めました。「かぎっ子」という言葉が生まれたのがこの時期です。