最初に国が政策をつくったのは、1963年のことです。『小学校3年生までの児童で、家庭環境や交友環境、地域環境に問題があって』サポートする必要がある子どもを集団的に児童館のなかで面倒を見るというものです。当時の国の施策は非行対策という色合いの強いものでした。

 1966年には文部省が「留守家庭児童会」といって、学校の余裕教室を使って、放課後5時くらいまで子どもを見るという授業を始めました。今の学童保育に近いものだったと思います。ただこれは1970年にやめてしまったんです。

――まだそのころは利用者が少なかったんでしょうか?

 逆です。おそらく、ニーズがあまりにも多すぎて、対応しきれなかったのではないでしょうか。文部省は、学校の校庭開放事業に統合するという形で、手を引いています。

 自治体もそれとは別個に動いています。1960年代は民間の学童保育がいろいろできたので、それに対して補助金を出すということが始まりました。東京都も1963年に宝くじの基金を充てるといった形で補助事業を始めました。

 つまり民間の学童保育が増えると同時に、社会問題として取りあげられ、行政の施策も生まれてきた。民間の運動が行政を動かしたという見方もできますが、民間の運動と社会問題としての問題の顕在化と行政の施策がいっしょに動いていたというほうが適切な気がします。

 次は1976年、『都市児童健全育成事業』というのを国が始めました。これは学童保育から見るととても不十分な施策でしたが今の学童保育施策の前身といえると思います。昼間保護者が働いている家庭の子どもの面倒をボランティアが見るという地域活動に対する補助金でした。