過去の思い出における自分の“表情”は、記憶している“感情”から想像したものにすぎない。そのとき自分がどんな表情をしていたのかは、鏡や窓に映り込んだ顔をたまたま見ていたり、ほかの誰かが自分を撮影していたりしなければ、それは永遠にわからなくなる。

 ワイプ付きの写真そのものはフォトショップなどの写真編集ツールにかかれば簡単に加工できるし、今時はわざわざパソコンを使わなくてもスマートフォン向けの写真加工アプリを使って手軽に作ることだってできる。

 しかし、子どもの動きなど被写体の動きに応じた撮影者のリアルタイムな表情を残すには、やはり2つのカメラで両者を同時に撮ったものでなければ“本物”ではない。たとえば、わが子が初めて補助輪なしで自転車に乗れた瞬間の喜びと驚きが入り混じった親の表情は、その瞬間だけの特別なものだ。あとから再現したところでそれは“ニセ物”だし、ましてやそれをワイプにおさめて一枚の写真にするというのも何か違う。

 N100のストーリーカメラにかかれば撮影者の表情を同時に記録できる。口元では微笑みつつもシャッターを切る瞬間の目つきだけは真剣、そんな複雑な表情がワイプに残る。子どもがこちらを指さして笑っている隣には、可笑しな帽子をかぶった自分が小さな画面で恥ずかしそうにしている。沈む夕日を撮影した自分の顔は赤く照らされていて、細めた目はいかにも眩しそう。

夢にまでみた子どもと自分の同時撮影ができてとても喜ばしい
夢にまでみた子どもと自分の同時撮影ができてとても喜ばしい

 これまで記憶から想像するしかなかった撮影者の表情を写真に小さく写し込むだけで、これほど思い出に深みが加わるとは思ってもみなかった。ワイプからにじみ出る臨場感を体験してしまった今となっては、普通のカメラで撮った写真では物足りなく感じてしまいそうだ。

アロワナとアリゲーターガーの共演に笑顔を見せる息子
アロワナとアリゲーターガーの共演に笑顔を見せる息子

(文・写真/松村武宏)