共働き家庭にとっての大きなサポートの1つが、祖父母の存在。子育ての先輩としてアドバイスをくれる祖母だけでなく、いまや保育園の送迎からオムツ替えまでする祖父“イクジイ”も増えてきているという。「孫がかわいいから」と手伝ってくれる反面、娘や息子、嫁や婿との子育てジェネレーションギャップを抱える祖父母の本音を聞いてみた。今回は、送迎からトイレトレーニングまでお任せのイクジイの本音が分かる後半編。

【祖父プロフィール】
三浦さん(男性、仮名)
60代半ば。妻と2人で都内在住。メーカー企業の顧問として週5日勤務しながら、近くに住む小1と4歳(年中)の孫(長男の息子達)の世話をする“イクジイ”。ジムにも週4日通っている。

 前回「現役顧問のスゴイ祖父“イクジイ”の神髄を見た!」では、おむつ替えから保育園の送迎、予防接種まで、毎日孫のために過ごす三浦さんの姿をリポートしました。三浦さんの凄い“イクジイの子育て”話にノックアウトされそうになったライターと編集部。なぜ、そこまでするのか…。その真相に迫ります。

自身の子どもの育児は妻任せだった。イクジイになったのはその反動…

——“イクジイ”のかがみのような三浦さんですが、息子さんが小さいときもやはり育児に積極的に関わっていらっしゃったんですか?

三浦さん 「それが、お恥ずかしいんですが、典型的な“妻に任せる夫”だったんですよ。仕事もとても忙しくて子どもが起きる前に家を出て、寝た後に帰ってくるので、子どもと1カ月顔を合わせないこともありました。単身赴任もしたし、行事に参加することなんてできなかった。『俺のときとは大違いだよ』って息子にしょっちゅう文句言われます(笑)」

——それなのに、お孫さんのときはこんなに育児に関わりたいと思うようになったのはなぜですか?

三浦さん 「初孫が生まれたときは、こんなにかわいいのかと驚くほど愛情が湧きましたが、初めはこんなに関わるつもりじゃなかったんです。でも、嫁が長男を出産したときに職場の事情で3カ月で職場に戻らなくてはならず、誰かがお迎えなどを手伝わないといけない状況になりました。ちょうど、私が前職を早期退職して、今の仕事に変わったときでした。顧問ということで、勤務時間は短いし、自分の都合で出勤時間を遅らせたりできるようになりました。嫁、息子、妻、私の4人の中で、一番融通が利く状況にあったのが私ということで、白羽の矢が立ったんですね(笑)。最初はお迎えだけだったのが、習い事に連れてったり、お風呂入れたり…やるべきことがだんだん増えて今の状況になりました

今は、孫といる時間が楽しくてたまらない三浦さん。
今は、孫といる時間が楽しくてたまらない三浦さん。

——お孫さん達の食事を作ることもあるそうですが、奥様に作ってあげることもあるんですか?

三浦さん 「いや、ないです(笑)。単身赴任をしたこともあるので最低限の料理はできますが、普段は妻に任せっきり。私は、孫のためだから作るんです。好きなもの食べさせてあげたいじゃないですか

ウンチのオムツを替えられないジイジ達に一言申したい

——三浦さんの周囲にもそんな素晴らしいイクジイは、たくさんいらっしゃるんですか?

三浦さん 「どうですかね〜。孫のいる人は、みんな『初孫はかわいい』と言いますよね。私が孫ができる前に、上司に孫の写真を見せられて『かわいいだろう?』『遊ぶのが楽しみなんだよ』などと言われることがありました。そのとき思わず『かわいいんなら、ウンチのオムツも替えているのですか?』と聞いたら、『そんなことはしないよ。それはバアバの仕事だよ』って答える人ばかり。『それじゃあ、初孫さんはペット以下ですね』って言って、大変怒られたことがありました(笑)。

 世のジイジたちに『孫がかわいいなら、ウンチのオムツくらい換えるようになりましょうよ』と伝えたいと思いますね。だからこそ、自分でもちゃんとやりたいと思うんです

——(拍手!)。“オムツを替えないなら孫はペット以下”は、もう格言ですね!

できる限りのサポートをするから、嫁にはキャリアを積んでほしい

―ちなみに、お嫁さんには、仕事を辞めて家で子どもを見て欲しいとは思わないのでしょうか?

三浦さん 「それが、全然思わないんですよ。妻は以前仕事をしていたのですが、妊娠したときに私が『家で子どもをちゃんと見てほしい』と仕事を辞めさせたんです。それをずっと申し訳ないと思っていました。妻も『ずっと働き続けたかった』と今でも恨めしく言っていますよ。だからこそ、嫁には辞めないでほしい。私も長年、女性の部下たちを見てきて、キャリアの面でも辞めないで続けることが重要だと思うようになりました。

 実は、40年前私が会社の幹部候補になったときに、半年間の研修がありました。同期の女性でこの研修のために北海道から東京に半年間単身赴任で来ていた女性がいたんです。子どもを北海道に残しているだけでなく、月給が9万円の時代に月10万円の保育料を払ってまで、研修に来ていました。女性が働き続けるという意欲は、男性には想像もつかないリスクとコストを払っているんだと衝撃を受けました。それ以来、子育ての負担は、負担できる人がやればいいと思うんです。孫が生まれたとき、嫁には『できることだけすればいいよ。他のことは、誰かがやりますから』と言いました。たまたまそれが、家族の中では私だったというだけのことなのです」