上の子が5歳、下の子が2歳で初めての海外出張へ

―― フルタイムに戻した後、去年は海外出張にも行ったそうですね?

星野 出産後、初めての出張が去年の海外出張でした。出産前は、国内出張もわりと多い仕事だったんですけど、一晩ずっと子どもと離れるというのはハードルが高くて、子どもが生まれた後は一度も行っていなかったんです。

 でも、長男が5歳、長女が2歳というタイミングで上司から海外出張の話を頂いたときに「行ってみよう」と。思い切ってチャレンジしました。

 2人とも普段は別れ際に泣く子どもじゃなかったのですが、この海外出張に出発しようと、私がスーツケースを持って出掛けるとき、5歳になった上の子がしがみついてきて、「行かないで」と泣かれました。そのときは、さすがに心が折れそうになりましたね。でも、その後、最初の夜は泣いたけど、翌日には元気だったと夫から聞いて、ホッとしました。

 当社の住宅事業を視察したり、他社の動向を調査したりするため、シンガポールとマレーシアに行きました。実際に行ってみたら、本当に勉強になったし、帰ってきたら子どももぐんと成長していて、保育園の先生にも「成長したんじゃないですか」と言われたので、今回は行って良かったかな、と思っています。

 下の子はまだ2歳半であまり状況が分かっていなかったようですが、上の子は色々と考えながら過ごしていたようです。今回のことで、子どもは本当に強いなぁと感じました。でも、帰ってきてからは「もう絶対に海外行かないで!」って言われていますけどね(苦笑)。

―― 海外出張中、旦那さんが大活躍していたのでしょうか?

星野 いや、夫も同業で平日は忙しいので、埼玉に暮らす夫の両親が家に泊まり込みで来てくれました。毎日行ったり来たりするのはちょっと厳しい距離だったので。

 朝ごはんを作り、送り出してもらって、夕方6時のお迎えにも行ってもらって、4泊6日、子ども達はおじいちゃんおばあちゃんと過ごしていました。

 夫は普段は残業も多く、お迎えに行けない代わりに、朝の保育園送りを担当しています。あと、歓送迎会や大きな仕事など、前から夜の予定が決まっているときは、仕事を切り上げて帰ってきてくれることが多いですね。

 ただ、子どもの急な病気のときなどで私も夫も休めないときは、やはり夫の両親を頼ることがほとんどです。私の両親も神奈川にいるのですが、まだ仕事をしているので平日は頼れなくて。いつも助けてもらっているので、本当に感謝しています。

子どもの英語教育は、週2回のインターナショナルスクールで

―― 年中さん、年長さんになると習い事をどうするか悩みますよね。

星野 祖父母には本当に助けてもらっているのですが、近くに住んでいるわけではないので、平日の習い事はシッターさんにお願いしないとできません。

 長男は、土曜日にサッカーと水泳を習っているのですが、週末は家族の時間も確保したいので、予定を詰めたくない。そこで、わが家は平日に2回、インターナショナルスクールのアフタースクールに通わせることにしました。

―― 保育園の後、アフタースクールに移動するのですか?

星野 子ども達は公立の認可保育園に通っているので、お昼寝後にインターナショナルスクールに移動することになります。15時半から保育園と同じ18時くらいまで預かってもらえます。しかも、通える範囲にある保育園なので、インターナショナルスクールの先生が保育園まで迎えに来てくれて連れていってくれるんです。だから、私はいつも通り夕方に迎えに行くだけ。

 発音なども違ってくるし、英語は小さいときからやったほうが良いと思っていたので、小学校入学後も続けたいと思っています。

中学受験を経験させたい理由

―― わが家もそうですが、都内だと将来的には中学受験のことも考えますよね。

星野 私自身、中学受験をして、中高一貫の女子校に通ったのですが、自分で選んだ学校に中学・高校の6年間通えたことに本当に感謝しているんです。とにかく楽しかったし、素晴らしい時間だったと今でも思っています。

 中学受験の場合、受験校を絞るのは高学年になってから。もう自分の性格や好みもはっきりしてくるころなので、自分の意思で志望校も選べるんです。

 色々と調べていくと、「この学校は、ちょっと私の雰囲気ではないな」というのも分かる。私も、とある有名女子校を見に行ったときに「ここは違う」と直感で思いました(笑)。

―― なるほど。私は都内で育ちながら中学受験を経験していないので、経験者の話はありがたいです。

星野 子どもは自分とは別の人格だと分かっていても、親自身の経験は子どもの教育に影響を及ぼしますよね。私は中学受験にマイナスな記憶があまりなく、むしろプラスのイメージのほうが強いので、子どもに中学受験を経験させてもいいかな、と思っています。

 大学受験はもっと厳しい記憶ですけど……、でも、あれも良い経験でした。大学の付属校でありながら、内部進学者がほとんどいない女子校だったので、一緒に東大に進んだ人も7~8人いましたね。