ただ、こんなことが言えるのは、今子どもを腕に抱いていられるからなのだ。もし、子どもを授かることができなかったとしたら、私が身を置いてきた業界を恨んでいたかもしれない。業界全体がもっと寛容なら、あの時こんなこと言われなかったら…子どもを産めたかもしれないのに、と。

 もっと恨めしいのは、誰のせいでもない、結局は自分が選択した結果だということを、分かりすぎるほど分かっていることだ。

 息子が産まれてくれたから、20年間の月日を費やした仕事も、自分自身も恨まずにすんだ。本当に、ありがとう。虎ちゃん。

仕事復帰できたのは、子を持つ前の自分の頑張りのおかげかもしれない

 なんだかしめっぽくなってしまった。そんなわけで、周回遅れの出産にはなったが、だからこそ、ブランクを経ても仕事に復帰できたのかもしれない。仕事が「ゼロ」になる覚悟で出産、育休を取ったが、結局「ゼロ」にはならなかった。再び声を掛けてくれた仕事もあったし、ずっと続けさせてくれた仕事もあった。一旦「卒業」しても、またいつか違う番組に「入学」できる可能性も感じている。

 こうして仕事が続けられているのは、これまで積み上げてきたものが、大きな山とはいかなくても、丘くらいにはなっていたからなのか。一応、崩れない程度の地盤はできていたのだろうか。そんなふうに思えるのだ。

 「去るもの」もあったけど、「去らぬもの」もある。「得たもの」はもっともっとある。

虎ちゃんがお腹にいたときの私達。自分で見ても幸せそうだ
虎ちゃんがお腹にいたときの私達。自分で見ても幸せそうだ

夫のアトコメ

 ホントにしめっぽい(笑)。

 割と運命論者というか、自分に降りかかる出来事のほとんどは後の財産になる、と信じて疑わない人間としては、仮に虎蔵(仮)がいなかったとしても誰かや何かを恨むという発想自体がなかったんじゃないか、とも思う。

 で、「ま、仕方ないんじゃないの」とか口にして、ヨメの逆鱗に触れまくってる姿がリアルに想像できる。そもそも何で怒ってるのか自体が分からなかったかもしれないし。

 実は、この原稿を読んだ直後に「ゼロになったらそれはそれでしょうがないでしょ、とか思っちゃうなあ、俺なら」と漏らしたら、熱狂的阪神ファンが巨人の選手に向けるような視線がビビッときた。ヤバかった。

 ま、実際に父親になってみると、子どもがいなかったころの生活なり考え方っていうのが自分でも信じられないし、「生まれてくれてよかったなあ」とはしみじみ思っている。

 ただ、もし自分が20代だったら、30代だったら、今とは比較にもならないぐらいヨメの地雷を踏みまくっていただろうなという確信もある。家の中でたばこをバンバン吸いまくってただろうし、麻雀やパチンコにも行きまくってただろうし。毎日の食事の世話。おむつの交換。お風呂……絶対に絶対に絶対にやってないな、ちょっと昔の自分であれば。

 だいたい、48歳の今でさえ、時々イラッ、ブチッといきかけることもある子育てを、若かりしころの自分がこなせていたとはとても思えないわけで。

 なので、自分に関して言えば、周回遅れの子育て、本当によかったと思っている。虎蔵(仮)が成人する時、こちらは66歳になってるわけですけど(笑)。