オバタリアン教師とは、「限りなくクロに近いグレーな指導法を用いて子どもたちを支配する年配の女性教師」のこと。明らかな問題教師とは言えない分、対処が難しい存在です。オバタリアン教師はなぜつくられるのか。どうしたらオバタリアン教師からわが子を守ることができるのか。『オバタリアン教師から息子を守れ』の著者、おおたとしまさ氏が解説します。

出没注意!オバタリアン教師

 2013年4月、朝の情報番組で衝撃的な音声が放送されました。小学校の50代の女性教師が2年生の児童たちに、耳を疑うような暴言を浴びせていました。

「やっぱりね、勉強ができない人ってのは字を書くのも遅いんだね。 おまけにねえ、遅いくせに下手だわ」
「どういう脳みそ? 不思議な脳みそねえ」
「持ってきてない人、手挙げて。 ああ、いつものダメな人たちね。 ダメな人生いいかげんやめようと思いません?」
「(給食を)一人前もらうのやめてくれる? 少なくしてくれる? いつも迷惑だから、ねっ、みんな迷惑だよね。 ひとかけらずつ食べないで、口の中に山のように入れて食べなさい」

 特に悪質なのは、児童を糾弾するような発言をした後、そのほかの児童たちに「はい!」と同意を求めるようなやりとりが頻繁に行われていたことです。

 つるし上げられた児童はもちろん、無理矢理「はい!」と言わされる児童たちの心情を思うと強い憤りを覚えます。まるで恐怖政治です。

 このような暴言が日常的に複数の児童に浴びせられていたようです。不審に思った保護者が子どもにICレコーダーを持たせ、録音したのです。

 音声が録音されたのは前年の秋でした。当の教師や学校に証拠として突きつけても納得のいく対応をしてもらえないまま新学年を迎えてしまい、やむなく音声をテレビ局に持ち込んだという経緯があったようです。

 いくらカッとなったとしても、これらの発言は明らかに異常です。音声を聞いたとき、私はそう思いました。本当に異常なのです。この教師を責める意味で言っているのではありません。むしろ同情に近い意味で言っているのです。なんらかの理由でおかしくなってしまって、自分が抑えられなくなってしまっているのだろう。ブレーキを失った列車が暴走を続けるように、止まらなくなってしまったのだろうと感じました。

 オバタリアン教師の一例です。

 オバタリアン教師とは、「限りなくクロに近いグレーな指導法を用いて子どもたちを支配する年配の女性教師」のこと。

 問題教師というと、教師個人の資質として語られがちです。問題教師をいかに排除するかという議論に終始しがちです。しかし教育行政や学校制度、教育を取り巻く環境全体を見渡してみると、制度疲労や教育改革のミスリード、社会的な勘違いなど、問題教師を大量発生させてしまうさまざまな背景があることがわかります。

「今年の担任はアタリかハズレか」

 今年の担任はアタリかハズレか。小学生の子を持つ親であれば、4月の始業式の後、多かれ少なかれ思うのではないでしょうか。気持ちはよくわかります。私自身、そう考えたことがないと言えばうそになります。