入学式の日、娘にスーツを着せて、自分もフォーマルスーツを着て先に出た。私は小学校の校長2年生、娘は新1年生。出られない私の代わりに、実家の母と妹が来てくれた。私の感傷かもしれないが、最初の子の入学式、父親だけではさびしかろうと思ったからだ。

 勤め先の学校に新入生を迎える。不安そうな表情、期待に満ちたキラキラした目。3月までは感じなかった感情が、合間に湧いてくる。「今ごろ、娘はどうしてるかな」。

 娘も校長先生の式辞を聞きながら、「オカアチャンはどうしてるかな」と思ったらしい。今までより、つながっている気持ちがする。でも、それは「我が子より学校の子」になりがちな私の、甘い言い訳に過ぎない。

夫の持つ「自由な時間」が妬ましい

入学式の夜は、名前付けに追われた。あまりの多さに共働き母としてぞっとしつつ、落とし物に悩まされる校長としては納得がいくという、板ばさみの心境だ
入学式の夜は、名前付けに追われた。あまりの多さに共働き母としてぞっとしつつ、落とし物に悩まされる校長としては納得がいくという、板ばさみの心境だ

 それから1カ月後。

 深夜23時に帰ったら、まだゴソゴソと娘が起きている。宿題をやらず、父親ともめたらしい。「やらないのなら忘れて行き!」と言われ、起き出してやっていたそうだ。当の夫は、下の子と一緒に、布団に転がってうとうとしている。蹴飛ばしたい衝動を抑えて、叱り飛ばす。

「なんで・こんなことに・なってんの? まだこの子、6歳やねんで! もっと丁寧についてやってよ!」

 未だに学童保育は定員オーバー、夫は介護パートを休んで放課後の娘といる。時間はたっぷりあるはずなのに、宿題をやらせきれていないのが、信じられない。下の1歳の息子を保育園に迎えに行ってからの、夜の「食事・お風呂・寝かしつけ」の忙しさは知っている。だからこそ、見通しを立てて早めにやらせてほしい。

 娘はひらがなプリントをやり、自分で時間割をそろえて寝た。そっと、忘れ物が無いかチェックする。鉛筆を削り忘れている。電動削り機に次々と鉛筆を突っ込みながら、心もトガってくる。

 「なんで朝早く家を出て、めいっぱい仕事して、遅く帰ってきた私がやらなきゃいけないの?」

 娘に早く習慣づけをしてやってほしい……という母親または校長としての思いより先に、「なんでアタシが損してんのよ!」という「不公平感」が先に来る。

 そう、私は夫の自由な時間に嫉妬している。子ども達と過ごせる時間の多さにも、仕事や家計に対する責任の軽さにも。

 深夜一人で帰った時、ハードディスクの録画リストをチェックする。しようと思ってするわけではないが、目に入る。しょうもないバラエティ番組や彼の好きな車の番組が「視聴済み」になっている。目をやると、畳んだ洗濯物が積まれている。「めっちゃ時間かかるから、テレビを見ながら家事せんといて!」何回言っても、直らない。畳んだ洗濯物は、タンスにしまって欲しい。積んだところに、子ども達が転げ回ってめためたにしたことは、1回ではない。