「プライベートでは、2人でなかなか話すチャンスがありませんでした。当時はまだ携帯電話が普及していなかった頃。仕事が終わり、ホテルについてほっと一息ついた時に、公衆電話からかけてくれるといいなあ…と思って」

 さすがに雄一さんの気持ちに気づいた妻は、夜遅くに電話をかけてきた。たわいもない話を10分ほどしただけだったが、プライベートで2人きりで話すのは初めて。2人の関係を変えるには、十分だった。

 それから3年ほどの恋愛期間を経て、雄一さんが28歳、妻が32歳の時に結婚。その頃妻はすでにアパレルメーカーを辞め、外資系コンサルティング会社を経て起業していた。そして、それから1年後に子どもができ、2年後に最愛の息子が産まれた。

 「実は、僕自身はそこまで子どもが欲しいとは思っていなかったんです。一人っ子だし、周りに親戚もいなかったので、小さな子どもに触れる機会がほとんどなかったんですね。なので、彼女と二人、ずっと楽しくやっていけたらいいなと本気で思っていました。でも、実際に自分の子どもができてみたら…もう、何とかわいいことか!目の中に入れても痛くないとはこのことだって思えました(笑)」

「ごく自然な流れ」で育休を取得

 当時、雄一さんは引き続きアパレルメーカーで働いていた。女性が中心の職場であるため、育児休暇制度が整っており、男性でも1年間の育休が認められていた。そして、「ごく自然な流れで」会社を立ち上げて間もない妻に代わって、雄一さんが育休を取得。

 「育休中は、毎日が本当に楽しく、幸せでした。毎日朝から晩まで子どもと一緒なんですが、毎日違う表情が見られるし、成長も感じられるんです。炊事洗濯、掃除はもともと得意。子どもができるまでは家事は妻と分担していましたが、育休中は積極的に引き受けました。“公園デビュー”も、僕がやりましたよ。勤務先は女性が9割という環境でしたから、女性とのやりとりは得意なんです。お母さん方の井戸端会議に混ざったりもしていました(笑)」

 そんな生活も1年近くが過ぎ、徐々に復帰の時が近づいてきた。復帰後の配属や役割について会社と詰めていく一方で、子どもの預け先である保育園探しもスタート。しかし、身近な保育園はどこも待機児童であふれている。仕方なく、私立の保育園を見て回った。

 そして、園内にWebカメラを設置し、保護者がいつでもネット上で閲覧できるシステムを導入している保育園を発見。新しく、清潔な園内。保育士の対応もとてもよかった。「ここならば安心して預けられそうだ」とほっと胸をなでおろし、まずは1日体験保育に預けてみた。

 しかし…。結果的に雄一さんは、「退職して育児に専念する」ことを選ぶ。職場復帰は楽しみだったし、配属先もほぼ確定していたが、「大事な息子を預けられる環境がない」と判断したのだ。

次回「土壇場で復帰断念 それでも主夫が嫌にならなかった」へ続く)