「大人の都合、親の都合で怒ってないか」と保護者に説く立場でありながら、「どの口が言ってるんだ」と自嘲する。体力的、精神的に余裕がある時は「もう、気をつけてよね」で済ませるのに。ふっと、よく言われる「虐待はくり返す」という言葉がよぎる。私は大丈夫、私だけは大丈夫。言い聞かせている時点で、「誰のために親をやっているのか」を見失う。
この文章を読んで、私を校長として不適格だと騒ぐ人がいるリスクは承知で書いた。子どもと接する仕事モードと、家庭モードは別だ。保育園の保護者同士でも、「他人の子は落ち着いて注意できるし、めっちゃ褒められるのになぁ」と話すことがある。児童の気持ちに寄り添うためにも、保護者の気持ちに共感するためにも、あの「しんどかった日々」は必要だったのだと、今は思える。さらに、今の我が家は、夫が一人で子どもを寝かしつける夜も多い。仕事で忙しく子どもが懐かない、扱い方がわからず不器用な育児しかできないゆえに、子どものかんしゃくを持てあます父親の気持ちもわかる。
学校にいるからこそ、我が子にどう接するべきかを考える場面も増えた。
子どもにとって、家庭が安心できる場所になっているか。
親が叱るのはどんな時か、筋が通っているか、子どもに伝わっているか。
怒鳴りたくなったら、深呼吸して10数える。
感情が先走って怒ってしまった時は、ギュッとして「ごめん」という。
自分を素直に好きだと思える子どもは、他人にも優しい。自分に自信が持てるから、チャレンジ精神がある。今、オモチャを片づけないことは、腹立たしい。その衝動を乗り越えて、私も親として成長したい。
一緒に、がんばってみませんか。
[本記事は日経DUAL編集部が2013年11月1日付日本経済新聞電子版に寄稿した記事を再構成しました]