このベース部分を持っていないまたろうは、なかなか自分で勉強をすることができません。頭が悪いのではなくて、進め方が要領を得ないし、基礎が歯抜けなので(漢字がわからなかったり)やること自体難しいのです。それに、公立中にいるからには高校受験というものがあります。高校受験では、内申(中学校の成績)も大きなウェイトを占めますので、どうしても「提出物出した?」などと、口を出し手を出してしまうことになります。

 また、周囲の生徒たちの状況が大きく違います。こじろうの学校には、実り多い友人関係を結べる人材がいっぱい揃っていて、かつ平和です。平和というのは、いじめが起きにくいとか、子どもだけで遊びに出かけたりしても「一線」を越えないというようなことを含みます。

 またろうの中学時代のように、しょっちゅう「事件」が起きると、親も出て行かないわけにはいきませんが、そのあげくにあまりよい結果にならないというのが大方のところです。

中学受験は「親が手をかける」ことができる最後のチャンス

 思うに、子どもが成長するにつれて、親が「手を出す」ことの価値は目減りしていきます。小さいころが最大ですが、ここは力強い信頼できる保育園の手を借りて乗り切ることができます。中学生になったあと、やたら「手を出す」必要に迫られる(自分の側から・子どもの側から)のはあまり芳しくないサインですが、これは疲れて実りが少ないうえ、他人に代わってもらうことができません。オムツを替える必要のある赤ん坊のベビーシッターは見つかっても、「中二病」の子どものフォローをしてくれるシッターはいませんから(笑)。

 つまり、中学受験の数年間は、まとまって「親が手をかける」ことのできる、かつ、それできちんと実りがある最後のチャンスです。この時期に、お子さんの学習の基礎を作り、6年間を安心して託せる学校を選ぶことは、非常に価値あることだと思うのです。