そうですね、私の場合、テスト結果がまずければ、怒りとかいうより、「わーどうしよう!」と思うんです。

 「理科は時間足りなかったね。どこで時間食った?」とか

 「あれ、この漢字、こないだ書けてたじゃない? 今は書ける?」とか

 「算数は、正解率○%の問題までがキレイに解けてて、それ以降が本当にすっからかんだね」とか

 「だ・か・ら~、『当てはまらないものを選びなさい』ってわざわざ太字にしてあるじゃん!」(←ここはちょっと怒ってる)

 たいていそんな感じ。

 うっかりしてるとまったく褒めなくなっちゃうので(だって悪いところから目に付くものだから)意識して、「今回は社会わりとよかったね~テキスト二度読みしてったもんね」とか言うようには心がけてましたが。

 具体的というか細かいというか、逆に逃げ場がないような、これが親として望ましい態度かどうかはわからないんですが、「なんでこんな点とるの!」という怒り方との違いはどこにあるかといえば、「感情」が最前面に立ってはいないってところでしょうか。

 私は、子どもの中学受験に対して、かなり手をかけていたほうだと思います。自分が熱心に何か手間をかけたことについて、うまく成果が出なければ、がっかりするというのはごく自然なことですが、なんというか、なにしろ自分のことじゃなくて、子どもとはいえ別の人間のやることですからね。あんまり気ぃ入れて期待してもしょうがないのではないかというか…

 よくても悪くても、私のおかげじゃないし私のせいじゃない。

 子どもと自分は違う、ちょっとスキマというか距離がある感覚です。

 逆に、すごく感情的になってしまう人というのはどういう人かというと、

・自分を犠牲にして子どものために尽くしている(と感じている)人

・子どもの出来の評価が自分の評価のような気がしてしまう人

でしょうか。子どもと自分が重なり合っているような感覚です。

「丸写し」とカンニングの意味の違い

 子どもにとって、親という人の価値までが自分に覆いかぶさってきたらそりゃ重いです。重いとどうなるかというと、無理をします。無理をするといっても、ストレートに勉強をがんばって、はかどるという意味ではありません。だって、自分のためでなくがんばらなきゃいけないと思えば、やる気は出ませんから。やる気がでないまま、つまり、効率が悪いまま、無理をすると…

 たとえば、だらだらと長時間勉強して、成績は上がらない、睡眠不足にはなる、遊べないからイライラする、どこかでブチンと切れる。あるいは、カンニングをする。