中学受験の場合、そんな暗記力だけを武器に何とか合格できる学校はあります。その一方で、暗記力だけではとても無理なところも当然あります。

たとえば首都圏の男女の御三家。さらに渋谷教育学園幕張、渋谷教育学園渋谷、海城、栄光、筑波大学附属駒場、駒場東邦、灘、東大寺学園、洛南高附属など、30校はあるでしょうか。

 それら以外の多くの中学校では、「記憶の器」から知識がポロポロとこぼれ落ちている状態でも合格できてしまうことがあります。ですから、大量演習繰り返し型の塾からも、多くの合格者を出すことができるのです。

脳の容量を補う「つながりの理解」

 そんな暗記を中心に勉強した子どもが、受験を経て、中学校へ入学したとします。中学生になると「本質を理解したいと思う意欲」が必要になるにもかかわらず、そういった学習法を知らない子どもは、相変わらず片っ端から覚えていこうとします。

 しかしその勉強法は、高校生になると、かならず限界を迎えます。学習内容が本格的に高度になり、「とりあえず覚えておこう」では通用しなくなるからです。

 そういう子どもは、もう暗記では対応できない理数系を捨てて、受験できるところを探すしかありません。すなわち、文系ですよね。そして私立大学の文系には、そういった学生があふれることになるのです。

 ちょっと未来の話になってしまいましたが、私は、限られた時間のなかでは、人間の記憶容量には限界があると思っています。パソコンのHDDに容量があるように、勉強も、何もかも覚えようとすると、やがて脳はの容量はいっぱいになってしまいます。