ここで、学校給食の歴史を少しだけ紹介したい。

 その始まりは1889年、山形県鶴岡町(現鶴岡市)の私立忠愛小学校で僧侶が貧困対策として無償で提供した、煮びたしと塩鮭のおにぎり給食に遡る。1954年には国民の食生活の改善に寄与するため、福祉ではなく、教育活動の一環として実施することを定めた「学校給食法」が制定された。

学校給食の根本をつくったのは、医学博士・佐伯矩(ただす)先生

 日本の学校給食が、なぜこんなに素晴らしいのかを語る際、見逃してはならない人がいる。世界に先駆けて「栄養学」の概念を説き、「栄養士」という資格をつくった医学博士、佐伯矩(ただす)先生だ。

 カキのグリコーゲンを発見し、国民病だったかっけや結核を、ビタミン不足、偏食が原因であると指摘して解決した学者が、「給食は子どもを育て、ひいては国の活力を育てる」と説き、今の給食制度の礎を築いた人物と同一人物であることは感慨深い。今日、日本中どこの学校でも栄養価も味も高いレベルの給食が提供されるようになったことの背景として、「食欲を満たすだけでなく知能を満たす給食」を目指した佐伯博士が果たした役割は大きい。

 給食は「毎日の給食を食べることで子どもたちの成長に必要な栄養とエネルギーを摂取してほしい」という、給食に関わる人たちの願いのもとで、100年以上続いてきた。そのありがたさを忘れてはならない。

 「個食や孤食が問題視される現代において、給食は単に食欲を満たすのではなく、食べる喜びや友達と同じものを囲んで食事をする楽しさを知る、大切なきっかけです。小学生時代に『なぜだか分からないけれど、すごくおいしい』というおいしさの原体験を持つか持たないかはその後の食生活を大きく左右するはず。おいしさという味のレベルを追求するため、煮物の出汁には某有名料亭、ラーメンの出汁には某ラーメン店の出汁と同様の素材を使うことにまでこだわる栄養士さんもいるほどです」

 そう言って、こうやまさんが紹介してくれたのは、「栄養士/江戸東京野菜コンシェルジュ」の肩書きを持つ、文京区青柳小学校の松丸奨さんだ。

 「松丸先生は自分の六畳一間のワンルームに、給食室で使うスチームコンベクションオーブンを入れてしまったほど熱心な栄養士なんです」。関東代表として「第8回 全国学校給食甲子園」にも参加した松丸さんの給食にかける情熱たるや尋常ではない。次回は、そんな栄養士、松丸さんが語る学校給食の現場をお届けする。

(ライター/砂塚美穂、撮影/川上尚見)