無邪気に、うれしかった。

 「無理かも」が「できた!」に変わった瞬間って、こんなにうれしいんだ。

 スポーツでも、勉強でも、何でもいい。子どもたちにこの達成感を与えたい。特に、しんどい子どもたちを抱える学校は、その一念で動いている。

 夜、飲み会の席でS校長先生がしみじみと言った。

 「いやー、今日はつくづく思った。よっぽどのことがない限り、通知票に『1』ってつけるもんじゃないな」

 なぜ? という周りの問いかけに、S校長は続けた。

 「山口さんが、木に登っている時に『体育が1だったからできない』って言ったでしょ。もう学校を出て20年以上たってるのに、まだこだわって自信をなくしている。だからカンタンに『1』をつけたらアカンなぁって。先生の責任って重いんやと、改めて思った」

 ベテラン校長の思いやりに満ちた言葉に、絶望的な気分で体育の時間を過ごしていた当時の私まで、慰めてもらったようだった。

「教師出身校長VS民間人校長」ではない

 この夜、別の校長先生からはもう1つ、うれしい言葉をかけていただいた。

 「山口さんが民間から来て、新しい物の見方にハッとさせられることも多い。その視点を取り込みながら、僕たちは経験を生かした学校改革をやればいい。そうして大阪の教育全体が変わっていかないと」

 マスコミは「教師出身校長VS民間人校長」といった図式を作りたがっている。少なくとも、私を取り巻く人間関係は違う。私に声をかけてくださる校長先生方は、優しい。そして、私にとって全員がベテランの「先生」だ。聞き上手、教え上手の方が多い。私を褒めて、やる気にさせてくれる。

 先日の校長会では、悩んでいる「周年行事」について質問をさせてもらった。

 2013年の5月、敷津小学校は140周年を迎える。式典を大規模にやるべきか、コンパクトに「学校のお誕生会」として児童主体でお祝いするか。それぞれの学校の経験や、航空写真を安くあげる方法などを教えていただいた。

 教えてもらうたびに、思う。

 私に返せることは、何だろうか。