思えば、公園だけでなく、乳幼児クラブや幼児教室でも似たような感じだ。先生が、「みんな、集まって」と言えば、私は虎を抱っこで連れて行き、歌を歌ってくれているときは、走り回ろうとするのを必死で捕まえている。そんな私に対して、夫は「いい、いい、放っておけ」と言う。好きなようにさせればいいというのだ。

 普通、周りに合わせるでしょう。人様に迷惑かけるのはよくないでしょう。そう私は思っていたのだが、夫のこの接し方を見ていると、周りに合わせることが本当に正しいのかどうかわからなくなってくる。もしかしたら、私の接し方だけで育てると、周囲に合わせることばかり覚えてしまい、個性を出せない子になってしまうかもしれない。もちろん、夫の接し方ばかりでも、単なる「困ったちゃん」になってしまう可能性もあるが。

私は「守り」で、夫は「攻め」。これがわが家の役割分担だと思う

 こういうところなのではないか。「パパ」と「ママ」の役割が同じである必要はないというのは。うちの場合は、ママは「守り」で、パパは「攻め」。きっとこれからも私は、虎のためにできることは何でもやっちゃうし、公の場では社会性に重きを置いて接していくんだろうな。夫はきっとこれからも、虎のためにあえてやりすぎないようにするし、どこでも本人の自由意思に任せるんだろうな。

 子どもの世界をどう広げるかについても、重視するポイントは違う。私は目下のところ、どんな教室に通わせようかというところを悩んでいるが、夫は、日本のどの地域に、世界のどの国に連れていこうかと日々妄想している。

 「パパ」と「ママ」それぞれのアプローチをバランスよく受け止めて、子どもが成長していってくれるのが理想の姿だが……。そんなにうまくいくのだろうか。