子どもが2歳の時、パートで復職

 結婚するまで斉藤さんは名古屋で銀行員として働いていた。

 「短大卒業後、新卒で大手都市銀行に入行し、正社員として働いていました。結婚するまで9年間、親元から通勤していたんです」

 そんな斎藤さんが結婚を決意した相手が、仙台の人だった。相手が職を転々としていることや、生まれ育った名古屋を離れることに迷いはあったが、その人が好きだった。その思い1つで仙台で暮らすことを決めたのだ。

 結婚後はすぐに子どもができ、毎日はそれなりに忙しかった。しかし仙台は何の縁もなかった土地。新生児を抱え自由に外出もできないなか、新たに築く人間関係はすべて子どもか夫つながりということになる。

 要するに、誰に会っても「○○ちゃんのお母さん」か「斎藤さんの奥さん」だ。そうではない、自分自身を見てもらえる場が欲しかった。また退職して初めて、「家にこもっているのは性に合わない」と実感もしたという。

 子どもが2歳のときに就職活動を開始。ハローワークの紹介で、仙台市にある銀行の面接を受けてすぐ、採用された。仕事の内容は窓口の後方支援事務だった。

 「勤務時間は10時~16時。時給は750円でした。安いなあと思いましたが、保育園のお迎えなどを思うと、扶養の範囲内で働く選択が妥当でした」

 一方で、すでにその頃、「すぐにでも現金が欲しい」状況になっていた。生活はギリギリ。しかも自分の知らないカード支払いやキャッシングによるマイナスが、だんだん大きくなっていた。