そうなってしまうと、もう一朝一夕では治りません。フラッシュカードや速読による直感頼りの学習から、自分の頭のなかにある言葉で考えるスローな学習に変えていくことも必要ですし、知ることや、わかることの楽しさも教えていくとなると、場合によっては、治すのに5年以上かかることもあります。

 さらには、こんなケースもありました。算数だけが飛び抜けてできる小学6年生の子どもです。

 算数の能力はもう抜群で、理科もほどほどにできましたが、国語の成績が本当に悪かったのです。

 優秀な国語の家庭教師をつけても点数が上がらないため、困り果てたお母さんは、何度も私のところに相談にこられました。

 お母さんとさまざまに話してわかったのは、その子が赤ん坊の時に数字にばかり親しんでいたということです。

 表には数字、裏にはひらがなが書いてある積木を用意すると、幼い頃は一般的に、子どもは数字ではなくひらがなで遊ぶものですが、その子はいつも数字のほうで遊んでいたといいます。ハイハイをしていた1歳の時から簡単な足し算はできたといいますから驚きです。

 でも、それは決してよい結果を生みませんでした。その子も中学受験をしたのですが、結局合格できなかったのです。

 中学3年生になる頃まで私に連絡があり、「英語と国語がまったくできなくて、内申が取れないんです。どうしましょう」と、お母さんがお手上げになっている様子が印象的でした。

 これは、過剰に偏った刺激だけを与え続けるとどうなるかという、一つのわかりやすい例だと思います。

子どもが嬉々としてする習いごとは間違いなく効果的

 一方で、英才教育のシステムに合う子どもも、時々います。でもそれは、大脳が極端に早く発達した子で、全体の5パーセント以下だと思います。

 つまり英才教育とは、それ以外の大多数の子どもの犠牲のうえに飛び抜けた秀才をつくるもの――。それが早期英才教育の実情だと、私は考えています。