皆さん、はじめまして。原尻淳一と申します。僕は大手広告代理店入社後、ブランドマーケティングの仕事をしたあとエイベックス・グループに転職し、アーティストや映画、アニメ事業などのマーケティングを手掛けてきました。現在はマーケティング・コンサルタントの傍ら、ビジネス書を出版し、龍谷大学客員教授としてマーケティングや広告などの分野で教鞭も執っています。

 家族は、2人の娘(中1と小4)と専業主婦の妻という構成です。

 今回は仕事や育児、家事で毎日きりきり舞いのデュアラー(働くママ&パパ)の皆さんに、わが家の「教育改革」をお伝えしたいと思います。それも学校でも塾でもない。「家庭教育」の改革の意義について、です。

 僕は大学で教えていることもあり、「探求」という行為について大変興味があります。その一環で、自分の家庭教育をある種「実験の場」として、1つの試みを本格化させています。

 きっかけは、2013年春の長女の私立中学受験でした。これは、とにかく「過酷」の一言。

 盆暮れも関係ない塾と勉強漬けの2年間。
 塾や志望校の選定から、娘と2人で取り組み、週末のスケジュールは長女中心。妻はお弁当の準備や送り迎えの日々。土日は僕が担当で、長女が塾で勉強している間は、塾近くのスタバで仕事をする日々でした。塾に受験勉強を外注しているとは言え、娘の不得意分野を分析して、表に整理し、「この教科のこの部分をしっかり教えてください」と塾の先生に依頼するくらい「受験どっぷり」の日々でした。

 その結果、娘は持てる力をすべて出し切り、何とか受験にも成功しました。親としてはホッとしています。娘も中学生活を心底楽しんでいます。

塾と勉強漬けの2年間を過ごし、ふと浮かんだ疑問

 でも、待てよ、と思ったのです。

 この2年、娘がやっていたことは本来あるべき「勉強」の姿だったのだろうか、と。もちろん私立中学受験を通して、「勉強」という習慣や気力、ある程度の知識、応用力を身に付けさせることはできたと思います。

 でも、「何かが足りないのでは? 何かが違うのでは?」という感覚が拭い切れないのです。その理由は何なのでしょうか。