兄も母も気ままに好き勝手に過ごしているのに

 今から7年前。長男は中学へ進学し、小学校6年生だった次男は、中学受験を間近に控えていた。

 当時、夕食が終わり、後片付けが済んだ食卓が、息子たちの勉強の場だった。「そろそろ始めたら」と妻が声をかけると、2人はしぶしぶ着席し、テキストやノートを広げる。妻は本を読みながら、それを見ているというのが、いつもの風景だった。

 だが、次男が中学受験を直前に控えた12月、事件は起きた。

 夕食後、いつものように妻が声をかける。だが、中学校1年生の長男は定期試験が終わったばかり。「今日くらい、のんびりさせろ」とリビングで漫画を読み、笑い転げていた。

 一方の次男は、中学受験本番まであと1カ月ちょっと、当然、勉強しなければいけない。ところが寝転がって漫画を読む長男をみて、次男は「自分ばかり勉強させられるのは不公平だ。俺もやらない」と、ふてくされてしまった。「受験はもう直前だ」「競争相手は目の前の兄ではなく他の受験生だ」「終わればいくらでも遊べる」と妻がいくら正論で説得しても、次男は横を向いたままだった。

 これは次男のストライキだった。

 小6の子どもが受けている中学受験のプレッシャーはそれなりに大きい。言っている次男本人も、到底通らない理屈だとわかっていたと思うが、不安な気持ちやイライラをぶつけずにはいられなかったのだろう。

 この話を翌朝聞いた私は、次男をバッティングセンターに連れて行き、「もういい」と言うまでボールを打たせた。

 帰り道、次男は「兄も母も気ままに好き勝手に過ごしているのに、自分だけが勉強させられるのが嫌だった」と問わず語りに語った。

 今はフルタイムで働いているが、中学受験の時、妻は専業主婦で、子どもといっしょに過ごす時間が長かった。確かに専業主婦のほうが、食事面など含めて、手厚いケアができるのは間違いない。

 その一方で、母親がフルタイムで働いている場合、いっしょに過ごす時間が少なくても、子どもは「お母さんも頑張っているのだから、自分も頑張ろう」と思うかもしれない。

 わが家の場合、大学受験の時、妻はフルタイムで働いていた。外で過ごす時間が増えた分、妻は気分転換できるメリットがあったし、子どもと一緒に過ごす時間が限定されていたことも、お互いの立場を尊重するという面でプラスに働いたと思う。

自分の受験より精神的につらい。でも何ものにも代え難い

 2人の息子は小学時代から野球をやっており、中学、高校と何度も試合を見に行った。

 チャンスで打席が回ってくると、ハラハラドキドキ、じっとしていられなかった。次男は中学時代、主戦投手だったので、四球を連発すると、もう、いてもたってもいられなかった。それでも、息子たちの試合をみるのは、自分がやっている以上に楽しかった。貴重な経験をさせてもらったと、息子たちに蔭で感謝している。

 受験も似たところがある。子どもの受験は重く、せつない。自分の受験より精神的につらい。だがその分、無事に終わったあとの開放感は、何ものにも代え難い。

 心配していた長男が第1志望の大学に受かったという知らせは、自分が大学に受かった時よりも嬉しかった。次男は第1志望には届かなかったが、私の母校に進学した。息子の入学式で歌った校歌は格別だった。

 胸が痛くなるような、あの重苦しさは、受験生の親でないと経験できない人生の貴重な一コマだ。あと1カ月ちょっと、受験生の親は、そう思って見守るしかない。ここまで来たら、親にできることは、暖かい食事を用意してあげることくらい。それ以外には……おそらく何もない。

(文/日本経済新聞社編集委員 鈴木亮)