「お父さん、東京オリンピック見に行きたい!」

 そうねだられたら、わたしは仕事上のコネクションをフルに生かしてチケットを入手しようとするだろう。ワールドカップの決勝だろうがチャンピオンズ・リーグのファイナルだろうが「ここで巨人をブッつぶせば優勝!」という状況での甲子園のタイガース戦だろうが、ねだられてしまったら、まず間違いなくわたしは抗えない。

 若いころ、子どもがいなかったころの自分であれば、「そんなに甘やかしてたらロクな人間にならん」と露骨に軽蔑していたであろうことを、おそらくは平気でやる親になる。

 これってやっぱり、夫婦ともども人間としての鮮度が大分落ちてきた時期にできた子どもだからなのだろうか。それとも、どんな父親であってもこの時期はこんなものなんだろうか。だとすると、あと十数年たつと、息子は家の中で父親の姿を目にしただけで表情をこわばらせるようになってしまうのだろうか。

 分からん。

世の父親たちよ、子どもにメロメロでいいんすよね?

 路上で、駅で、公園で、小っちゃい子どもを連れたお父さんたちの多くは、わたしがそうであるように、もうメロメロですって顔をしている。あれは、平成の世だからなのだろうか。昭和の、大正の、明治のお父さんたちはどうだったのだろうか。いや、子どもを愛する父親の気持ちに時代は関係ない、というのであれば、どうして平成以前のお父さんたちはぶっきらぼうで怖いヒトが多かったのだろうか。

 それとも、今はデロンデロンになってるパパたちも、子どもの成長とともに厳しい顔つきができるようになるのだろうか。

 まったくもって、見当がつかん。

 おまけに、未来が見えないのはわたしだけではない、とくる。

極薄ミルクを片手で飲む虎蔵(仮)
極薄ミルクを片手で飲む虎蔵(仮)

 1年前、一晩に何回もミルクを欲しがって泣いていた息子は、枕元に「ミルク風味のお湯(つまり極薄のミルク)」の入った哺乳瓶をおいておけば、器用に片手で持ってゴクゴクやるようになった。どんなに寝ぼけていても、である。1歳をすぎてまだ哺乳瓶好き、というところは微妙なのだが、ともあれ、夜ミルクを作らなくてもよくなったわたしからすればありがたいことこのうえない。

 そういえば──。

 「お風呂に入る際、顔にお湯がかかると怖がって号泣」
   ↓
 「顔半分を湯船に埋めてブクブクやりたがるように」

 「ようやく首が据わってきた。寝返りを打つのはまだ当分先」
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 「家中をドカドカ走り回る。犬と追いかけっこ」

 「離乳食など夢のまた夢。母は母乳番、父はミルク番でともにヘロヘロ」
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 「米、パン、パスタ。大人とほぼ同じ炭水化物をがっつり食べる。イチゴと洋梨が大好物に」