だから、未来の自分がどうなっているか、とんと自信を持てなくなってしまったわたしである。来年のわたしもまた、今からは想像もつかないような人間になっているかもしれない。5年後、10年後となればなおさらだ。うかつなことは言わないほうが、書かないほうがいいのではないか、とも思う。

 いずれ、本人の目に触れる可能性だってあるわけだし。

 そうなった時、そこにいるわたしが今のわたしが想像しているわたしとはまるで違ったわたしだったりすると、一悶着は確実だ。というか、わたしが息子・虎蔵(仮)の立場だったら間違いなく攻勢に出る。

 親の弱点、矛盾をはっけーん! 自民党の不正の確証をつかんだ旧社会党系女性議員のような勢いで、はたまたこちらの落ち度を発見した時のヨメのように勝ち誇って食ってかかる。

 「なんなんだよ、これ! 書いてたこととやってることが全然違うじゃねーかよ!」

 食ってかかられた、今のわたしが想像しているのとまるで違った人間になっている老いたわたしは、大いにうろたえることだろう。嗚呼、情けない情景が目に浮かぶようだ。わたしは、どうすればいい?

将来、虎蔵(仮)に己の矛盾を突かれたら、わたしはどうすれば……?

 「い、いや、まあ、人間は変わるものじゃしな。お、お前にもいつかは分かるはずじゃ」

 しどろもどろになりながら、そんな言い訳をするか。いや、あながち間違いではない。人間は変わる。いつかは分かる日も来る。残念なのは、この真理、いくら他人から言われようが断じて自分の心根の奥底に響くものではなく、自分が子どもを持ってみない限りまず得心のいくことはないということである。当然、息子が納得してくれようはずもなく、わたしは若き日……もとい、47歳の時に書いた自分の文章を悔やむことになるのだ。

 ――と、そこまで想像し、覚悟した上で書く。

 どうやらわたくしカネコタツヒト、厳しい父親、怖い父親にはなれそうもない。それどころか、グダグダに甘い……なんていうか、ヨメがお世話になっていた某情報番組の司会者サマ的要素をたっぷり持つ、しかし本家に比べればはるかに小ぶりな父親になってしまいそうな気がするのだ。ま、実際のところあの御方がどの程度甘かったかを知っているわけではないので、いささか無責任な例えではあるのだが。