大事にしまっておいた「十四代」をカパカパ飲まれながら義父に言われた。

 「最近のお前さんの書くもんは、あ~、なんていうか……」

 なんすか、その歯切れの悪い物言いは。言うなら言うではっきり言ってください――とはホントに言った。

 「う~ん、ま、甘くなったっていうかな。かつての切れ味がなくなったっていうかな」

 なんすか、その直球過ぎる物言いは。親しき中にも礼儀ありって言葉、知らないんすか? てか、おれの大事な日本酒、そんなにガバガバいかんといてもらえます?――などと言い返せるはずもなく、奥歯を噛みしめるしかないわたしだった。実は、自分でもそうかもなという自覚は少なからずあったし、酒はいつか飲まれるものだからである。

 昔だったら、というか、親になる前のわたしだったら、この選手がダメ、この監督に能力がないと自分なりに判断すれば、遠慮なくそう書いていたものだった。実際、あまりにも遠慮がなさ過ぎて、ある元日本代表監督が「俺はあいつに殺されたようなもんや」とこぼしていたのを耳にしてしまったこともある。

 それもお互い仕事のうち。そう思い込んでいた部分はあった。

監督や選手にだって家族がいる、と思ってしまうのである

 間違っていた、とは思わない。監督は批判されるのも仕事だし、批判しないで癒着するだけの記者なんてロクなもんじゃない。とは思うのだけれど、それでも、今は書けなくなってしまった原稿があるな、とも思う。監督にだって子どもはいる。選手だって家族がいる。批判めいた原稿を書こうとすると、ついその人たちの顔が浮かんでしまうのだ。

 というか、浮かばずに書いていた自分が恐ろしい。

 1年前のわたしは、1年後のわたしがこんな人間になっているとは夢想だにしていなかった。毎朝NHKの朝ドラを見て、そのままEテレにチャンネル・チェンジ。杉山ゆうなちゃんの掛け声に合わせて、よちよち歩きの息子・虎蔵(仮)を踊らせる……誰だ、こりゃ。

 2年前のわたしから見れば、まさに別世界、ほとんど宇宙人である。