『ぐりとぐら』や『いやいやえん』(ともに福音館書店)などの著書で知られる児童文学作家の中川李枝子さん。『ぐりとぐら』は保育園で保母として働いているときに書いた作品で、出版から50年が過ぎた今も、多くの子どもたちに読み継がれています。「子どもが生まれたから仕事を辞めるなんて考えたこともなかった」というワーキングマザー(ワーママ)の先輩でもある中川さんに、保育園時代の話や、自身の子育て、創作の秘密を聞きました。第1回は『いやいやえん』『ぐりとぐら』誕生の裏側です。(聞き手は羽生祥子・日経DUAL編集長)

夫も父もイクメンだった

羽生 うちの子どもも『ぐりとぐら』が大好きで、何度も読んでいるのですが、『ぐりとぐら』や『いやいやえん』は中川さんが保母として働いていた時代に書かれたそうですね。

中川 私が無認可の保育園だった「みどり保育園」に勤務していたころに書いたんです。就職したのは1956年。結婚して子どもが生まれた後もずっとそこで働いていました。

羽生 働きながら、子育てもして、本も書くのは大変じゃありませんでしたか?

中川 全然。だって夫がいるじゃないですか。子育ては男の人も一緒にするものでしょう(笑)。

 うちの夫は8人兄弟の末っ子なんです。お姉さんが4人いて、みんな子どもを産んでいるから、おいやめいの面倒は散々見てきたと言う。「僕は赤ん坊のことは何でも分かる」って。私がおしめを替えるのを見て「そのやり方は悪い」ってやり直すのよ。ミルクを飲ませるのも私より上手でした。

羽生 イクメンだったんですね!

中川 イマドキよね(笑)。

 実は私の父も「子育ては父親の仕事」と言っていました。母は働いていなかったけど、子どもが5人いたし、戦争中だから物はなくて主婦は大変だったのです。だから子どもをお風呂に入れたり、遊ぶ、勉強を見るといったことは全部父がやっていました。

原っぱの片隅にある保育園に就職

羽生 保母として働いていたみどり保育園は、現在の駒沢オリンピック公園(東京都世田谷区)にあったそうですね。

中川 今の駒沢オリンピック公園は当時、駒沢グラウンドと言われていたのですが、みどり保育園はその片隅にありました。見渡すかぎりの原っぱに建っていた、小さな保育園でした。