悪阻の時だけ、というつもりで始めたわたしの家事協力は、カネコ家におけるオプションではなく“標準装備”になってしまった。

 既成事実は論理に勝る。

 争いごとは声高な方が勝つ。

 近年の国際情勢において痛感させられてきた真理を、わたしは、わが家においても味わわされることとなった。

 なので、子育ては相当にやっている部類である。

 かなり、ではない。と思う、でもない。断言である。万が一ヨメが「はあああ?」とでも抜かそうものなら、心の中でちゃぶ台をひっくり返してやる。日本在住の47歳男性で、わたしより子育てを頑張ってる奴がいるなら「出てこいやー!」な感じである。言っちゃなんだが、高田延彦さん(元プロレスラー)の自伝を書いたことのあるわたしの「出てこいやー!」はかなり本格的である。

 月に何度か泊まりがけの出張があるから、毎日、ではない。だが、家にいる時のわたしの働きっぷりときたら、本当に何もしなかった自分の父親なんぞに比べると、東京都栄誉賞でさえ足りないぐらいである。

 生まれた直後、糞詰まりになった時はわたしがケツの穴に綿棒を突っ込む役だった。沐浴はもちろんのこと、毎日の入浴もわたしの役目となった。母乳とミルクの混合だったわが家の場合、ミルクをあげるのもわたしの仕事である。となると、離乳食が始まれば、メシを食わせてやるのも当然、わたし。夜泣き、というか明け方に息子・虎蔵(仮)が泣き出した時は、わたしが寝かしつけてやることになった。

生後1年間、一度もシッターさんを頼まずに済んだ陰に我あり

 生まれてからの1年間、わが家では一度もベビーシッターさんを頼むことがなかったが、それはひとえに、ヨメが出かけた際の子守をわたしが一手に引き受けたからだった。1カ月健診、3か月健診、6カ月健診……健診という健診にはすべて同行し、息子・虎蔵(仮)がスペアリブの代わりに自分の左親指にかぶりつき、その後たっぷりと雑菌を練り込んでドイツのソーセージのようにぷりんぷりんに腫れ上がらせた時も、病院にまで連れていった。

 ヨメがお茶の教室に通い続けている一方で、わたしは英会話教室をやめた。

 そこまでしているのに、である。