ただ、問題がなかったのは最初だけだった。
思えば、息子・虎蔵(仮)は、病院を退院して最初にわが家に来たときも、過去に9人の孫を見てきたウチの母が心配するほどに「泣かなかった」。何か問題があるのでは……と少しばかり不安がよぎるくらいだったが、翌日になると盛大に泣き声を上げるようになった。
どうやら、虎蔵(仮)はテレビ業界という弱肉強食の世界で暮らすヨメではなく、ナイーブでセンシティブな文筆の世界で生きるわたしの遺伝子を多く引き継いだらしい。端的に言えば、小心者、ビビリである。
なので、留守番のときも最初は泣かなかった。でも、2回目からは普通に泣いた。というか、いつも以上に泣きまくった。
何をやっても泣きやんでくれなかった。
トシを取ることによって遭遇回数が減っていくシチュエーションの一つに「途方に暮れる」ということがあると思う。どうしていいのか分からない、という状況は、人生経験を積んでいくことにだんだんとなくなっていくからだ。
それだけに、トシを取ってからの「途方に暮れる」は痛い。トシを取ってからの麻疹は重いというが、たぶん、同じ理由で重い。若造ならいざ知らず、もうすぐ50になろうというオヤジの身体と心は、そういうモンを卒業したつもりになっている。試練を乗り越えるようにはできていないのである。
自分の“恐るべき衝動”に驚愕する
抱っこする。泣きやまない。揺らしてみる。効果なし。そうだ、これならば、と「高い高い」をやってみる。号泣にターボが掛かる。仕事は全く手に着かない。途方に暮れて、暮れまくって……そうこうしているうち、ビックリするような感情が自分の中から込み上げてきた。
「てんめえ泣きやまねえと頭ぐらんぐらんに揺さぶって脳髄かき出したるぞ、このクソボケーーーーっ!」
泣きやまないことなら何回もあった。かわいいな、としか思わなかった。泣き始めると大急ぎでビデオを回したことさえあった。
ただ、それはヨメがいるときだった。