ともにフリーランスとはいえ、ヨメの場合、仕事はあくまでも家の外である。稼ぐためには出かけなければならない。ヨメが出かけるとなると、誰かが息子・虎蔵(仮)の面倒を見なくてはいけない。

 当初、こういったケースで頼りにしていたのはヨメ方の両親だった。わが方の両親はといえば、住んでいるところが横浜なので通ってもらうには少々難があり、かつ、この平成のご時世にありながら虎蔵(仮)が実に10人目の孫ということもあって、「目の中に入れても痛くない。何が何でもジジとババは駆け付けるからね……」という感じではない。はっきり言えば、孫、もうおなかいっぱいなのである。

 その点、ヨメ方の両親にとって、虎蔵(仮)は2人目の孫にして待望の男子でもあり、その喜びっぷりときたら相当なものがあった。なので、こちらとしては大いに期待もアテにもしていたのだが、ここで誤算が生じた。

 義父が腰をヤッてしまったのである。

 肩こり、腰痛、胃もたれ、二日酔い、すべて全く無縁のわたしには、腰をギクッとやってしまうのがどれほど大変なのかは分からない。ただ、現実問題、これによって義母は外出機会が大きく制限されてしまった。どうやら、腰をヤッてしまったおっちゃんというのは、赤ちゃんと同じぐらい手が掛かる存在らしい。

虎蔵を世話しながら、家で原稿を書く!? ……んな、無理じゃん

 頼みの綱はプツリと切れた。となると、残された手段はひとつしかない。家にいてもギャラを稼ぐことのできるわたしが、息子・虎蔵(仮)の面倒を見ながら締め切りもこなしていく、という手段である。

 初めてのお留守番のときは、意外や意外、まるで問題は起こらなかった。息子・虎蔵(仮)はベビーベッドの中でウンともスンとも言わないまま熟睡し、わたしはいつも通りにキーボードをたたいていられた。いや、厳密に言うといつもは仕事部屋でたたいていたキーボードを、この日からリビングでたたくことになったのだが、これまた意外なことに、何の問題もなかった。深夜でなければダメ、タバコがなければダメ、途中でヘビーメタルを聞かなければダメ……と色々なしきたりがあったかつての自分はなんだったんだろ、としみじみ思った。