いま、仮に息子・虎蔵(仮)が病気にかかったとする。地方にいようが海外にいようが、すっ飛んで帰ってくるのは間違いない。

 しばらくはすべての仕事もキャンセルするだろう。幸か不幸か、会社員ではないわたしには、そうすることが許される。収入は一時的に激減するかもしれないが、必要としてくれるクライアントがあればまた働くこともできる。

 バース様も、会社員ではなかった。史上最強の助っ人と呼ばれたほどの男であれば、まさか阪神から解雇されるはずはないし、万が一解雇されたとしても、次の球団から誘いの声がかかることもある。おそらくはそう踏んでいたはずである。

 だから彼は家族を選び──結果、二度と日本の球団でプレーすることはなかった。

 今になってみると、まずわたしは自分の感じていたことに驚かされる。阪神が本当に解雇したことにも、その後どこもバース様を獲得しなかったことにも、心底驚かされる。

 だが、何よりビックリするのは、あの時のマスコミである。

 88年、わたしは小さな出版社にもぐり込んでいた。弱小なれど、一応はマスコミの一員である。いろんな新聞社、通信社、雑誌社の方々によく飲みに連れていってもらっていた。

 バース様を擁護する人に出会った記憶が、わたしにはない。

今のわたしはマジョリティか、はたまたマイノリティか

 そもそも、周りにいる先輩たちが本気で阪神の対応に憤慨していれば、あるいはバース様の決断に諸手を挙げて賛成していれば、付和雷同するしか能のない小僧・カネコはひとたまりもなく、かつ全面的にその色に染まっていたはずである。だが、あの時の自分が間違いなくバース様を支持していなかったことを、わたしは知っている。

 先輩たちのなかには、すでに子持ちの人もいた。

阪神戦デビューで名入りユニホームを着せた親バカです。はい
阪神戦デビューで名入りユニホームを着せた親バカです。はい

 29歳の時に会社を辞めたわたしは、以来、フリーランスとして生きてきている。組織から仕事をもらっている個人事業主という意味では、プロ野球選手に近い立場にある。

 だから、いまはバース様に肩入れするのだろうか。それとも、子ども、家族というものに対する日本社会の意識がずいぶんと変わり、その影響を知らず知らずのうちに受けていたのだろうか。

 何より、迷わずに仕事よりも子どもを選ぶであろういまのわたしは、現在の日本社会においてマジョリティなのだろうか。マイノリティなのだろうか。

 四半世紀以上も前のアメリカで常識だった感覚は、今、日本の常識になっているのだろうか。

妻のアトコメ

 家族の事情も仕事の環境も人によって全く違う。出産、育児、看病、介護など、その人が何より重要だと思って優先させた選択なら、それを尊重できるゆとりが企業にも社会にもあってほしい。

 まだ、軽い風邪程度しかかかったことのない息子だが、何か病気になったらどうしようという不安は常にある。

 「病気になったら、どこにいても飛んで帰ってくる」

 頼もしいこの言葉、しかと記憶にとどめておくことにする。