プロのスタッフがボートを浮かべ、事故の無いように監視してくれている。気になる子は名前で呼び、容赦なく注意が飛ぶ。「よその大人に叱られる」経験も大事だ。

 退所式で、江島さんが熱く語った。

 「びわ湖青少年の家での体験を、一生忘れないでほしい。来年、この施設はなくなるかもしれないから、いつもより強い想いで語っています」

 チーム敷津の良かったところを褒め、君たちはこうしたらもっとすてきな大人になれるよと注意もしてくれた。5年生に後で食い下がられた。

「なんで無くなるの? 僕たち、来年も来たい。4年生に教えてやりたい」

 日本中の公的施設やサービスで、似た問いが繰り返されている。

 「数値目標」「費用対効果」「民営化」の言葉の下に。私は、民間から来た。昨年の今ごろは、自分で小さな事業を運営して、全国の商工会議所で民間企業のために売上向上のためのセミナーをやっていた。

 民間は、成果が無ければ収入が無くなる。そこに何らかの補充がなければ、維持できない。公的機関やサービスは、すぐに数値化できないものに対する、セーフティーネットや長期投資の意味合いが強い。

 何の成長もしない人材が既得権益を守るために運営している組織に、税金を注ぐ意味は無い。しかし、私が生で体験したこの3日間は、琵琶湖随一のロケーションに加え、プロの指導者によって運営される貴重な施設だった。若い教師は、スタッフの子どもへの接し方から学ぶところも大きいだろう。

 学校が自然体験施設に求める意味は、おいしい食事や快適な部屋ではない。

 まずは安全。次に、非日常体験。そして、自分で危険を察する力、声を掛け合うチームワーク、指示を聴く姿勢。3日間で学んだことを、通常の学校生活につなげていけば一生物の力になる。目覚めた協調性や集中力を、一時的なものにしては申し訳ない。

 文科省では、平成18年度から自然体験活動の推進を図っている。その流れに逆行して、公的な自然体験施設が減り続けている。民間の施設に問い合わせると、宿泊と食事だけで安くても1泊4500円が相場だ。2泊すれば1万円近くなり、交通費や活動費が出せない。1泊では移動だけで半日が潰れ、睡眠時間を入れるとほとんど活動できない。

 何とかして最低でも現状維持で、引き継げないものか。今も運営費のカットで、夏の厳しいシフトをギリギリのスタッフ数で乗り切っているとのことだった。次世代のスタッフを育てる予算も必要だ。

 公立小学校や娘の通う吹田市立の保育園でも、「数値」だけで判断され、人件費や体験学習費が削られている。「びわ湖青少年の家」を廃止するにあたり、利用者である公立小学校へのアンケートは採られなかった。私はたまたま体験しただけだが、民間と公教育の両方の視点を持って勝手に答えたい。

 「低価格でありながら、プロの指導員が充実した体験を保証してくれる。教育効果は数値化できないが、一生物の『生きる力』の種をもらえる。環境も人材も、大阪の子どもにとって貴重な財産だ」

 もらった種を花開かせるのが、学校の役目だ。できる限りの存続を、子どもたちと一緒に願っている。

[参考]大阪市立びわ湖青少年の家は本記事執筆後、平成25年度末での閉鎖が決定した。