大阪市の公募校長が、3カ月で退職した。私は一緒に研修を受けた仲であるし、38歳の彼とは1歳違いなので親近感を持って接していた。もちろん、「3カ月で辞めた」事実は当事者には許せないだろう。それにしても、報道の激しさには驚いた。インタビューや映像は一部が強調され、彼が本当に訴えたかった「民間人校長システムの是非」についてはかすんでしまった印象だ。

 同期の民間人校長の一人として、彼の退職が突きつけた課題は、自分の課題そのものだ。報道を受けた意見にも「他の民間人校長はどうなの?」というものがあった。1学期を終えようとする今、彼と同じ小規模校に配属された立場から、現状と課題を書いてみようと思う。

民間人校長は基本的に「招かれざる客」

 民間人校長が改革に成功すると、困る人達がいる。新しいやり方の成功は、現在と過去の否定につながるからだ。民間人校長の存在そのものが、迷惑で不快だという人がいて当然だ。実際、現場研修で訪れた学校では、目も合わせてくれない、挨拶もしてくれない教職員の方がいた。「苦労して築いてきた自分達のやり方を、ポッと出の素人に変えられてたまるか」……。そんな声が聞こえるようだ。

仕事場である校長室。「理由はどうあれ、自分と他人の命に関わるトラブルを起こしたら校長室へ来る」というルールを作っている
仕事場である校長室。「理由はどうあれ、自分と他人の命に関わるトラブルを起こしたら校長室へ来る」というルールを作っている

 かつて私も、同じ感情を抱いたことがある。

 私が中規模塾で校長を任されていたころ、宝飾業界でバリバリの営業マンが転職してきて、別の校舎の校長になった。授業が好きで、子どもが好きで、教務職から持ち上がって管理職になった私は、不愉快だった。

 「塾は子どもを伸ばして口コミ起こしてナンボ、営業トークだけうまくても塾運営はできない。できる子だけ大事にして、できない子を『お客さん』呼ばわりして営業成績だけ稼ぐ校長に当たった子どもはかわいそうだ」

 お酒を飲んで、よく愚痴っていた。

 実際、その人がどんな人柄でどんな校長だったかは、今も知らない。思えば、臆測だけで怒っていた。失礼な話だ。

 かつて他人に投げた言葉が、自分に刺さってくる。

 「教員免許も持ってないヤツが」「教頭を経験しないとやっぱりダメだ」「教育は数値管理できるものじゃない」

 幸い、配属先の教職員はみんな温かかった。それでも、厳しい視線を向けられているような気がして、常に焦りがあった。子どもや教職員に迷惑をかけられないという一心で、恥を捨てて質問をしまくる。

 着任時は、子どもの安全に関わることを覚え、注意力を切らさないようにするだけで精いっぱいだった。

 その過程で、民間人校長の強みは「知らないこと」にこそあると気づいた。

 私が投げる素朴な疑問が、学校の課題を浮き彫りにする場面があるのだ。

「ヒト・モノ・カネ」にまつわる手続きの山

 大阪市の教育改革の1つに、「校長経営戦略予算」がある。校長がやりたいことに「自由に」使える予算が配布されるという。基本配布はクラス数に応じて決まる。職員室から運動場が見えないため、モニターカメラをつけたいと申請を上げる。予算が配布されたので、いざ防犯用カメラを買おうとして驚いた。