このへんのことの事情や、考え方は、家庭によって大きく異なると思います。例えば学童の状況が、あまり居心地よくなくて、3年生がばらばらと欠けていく、というような雰囲気だったら、「最後まで」とこだわる意味も少なくなるでしょう。

 うちの子どもたちが通っていた学童は、こじんまりして落ちついた環境で、異年齢集団による遊びがゆるく展開しているところでした。卒所式の準備(出し物など)に向けてまとまってくる様子などはなかなかよかったものです。これを逃すのは惜しいと思いました。

 また幸い、子ども自身が「やりたい」といった習い事で、通うことが現実的に可能な状況にあり、かなり「居場所」として機能するものが見つかったので4年生ではこちらをメインにしよう、と決断することができたのです。

 たとえば、次男のこじろうの場合は地域の和太鼓サークルに入りました。ここは平日に2回の練習があるほか、土日もお祭りや老人施設慰問などの本番があり、学童や塾との両立はなかなか難しい忙しさですが、このときはしっかり通うことができました。

 こじろうはリズム感もよく、練習も熱心にやっていたので、1年という短い期間でしたが急速に上達しました。単に和太鼓がうまくなったということだけでなく、親でも先生でもない大人や、年齢が上の子どもたちとの関わりや、小さいながら自分の役割や責任ということなど、学童でも学校でも学ばなかったことをたくさん学びました。

熱中→練習→成果という体験が受験にもつながる

 グループの「頭(かしら)」と呼ばれている人は、口は悪いけど温かい人で、こじろうをとてもかわいがってくれて、叱るときはびしっと叱ってくれました。こじろうはあとで、頭に「ばかやろう!」といわれたのがとても心に残っているといっていました。もちろんただバカヤロウと言えばいいわけではなく、それまでの関係やシチュエーションがあってのことですが、親がやる理屈っぽい叱り方とはまったく別系統の、カラッとした迫力に感じるものがあったのでしょう。

 これは、中学受験とまったく関係ない話のようですが、本当のところ、中学受験にも大いに役に立ったと私は感じています。

 要するに「熱中する→練習を積み重ねる→成果が出る」という体験が大事なことなのです。これが、中学受験をしてもしなくても役に立ちます。

 また、仮にこの時期に熱中したことが、中学受験で中断したくないほどのものになれば、方針変更して公立中進学にしてもよいわけです。こじろうは4年も後半になったときに、和太鼓を続けるのではなく、中学受験に向かうことを選びましたが、もっと本気で和太鼓にのめりこんでいった子たちもいます。

 どちらもありなんです。もちろん、4年から塾に行ってもいいんです。本人が熱意を持って何ごとかに取り組み、生き生きと生活できていれば、その次につながっていきますから。