DUAL読者の皆さま、はじめまして。スポーツライターの金子達仁です。

 四十にして迷わず、なトシをずいぶんと前に通過したわたしは、確かに、若い頃に比べれば物事に迷わなくなったような気になっていた。なぜ迷わなくなったかと言えば、それなりに世間を知り、分からないことが減ったからだと思っていた。

 大間違いだった。

 分からないことが減ったのは、若い頃に比べると未知の世界へ突進していく機会が減ったから、でしかなかった。迷わなくなったのは、過去に似たような経験を積んでいたから、でしかなかった。

 子どもを育てるのは、未知の世界だった。過去、子どもを育てた経験はなかった。

 よって、齢47にして、わたしは迷っている。分からないことだらけの世界で、若い頃がそうだったようにドキドキしながら、時に匍匐(ほふく)前進、時にバンジージャンプしている。

大量出血のヨメをほっぽらかして酒を飲む哀れな男

 わたし同様に不惑を大きく越えているヨメとの間に生まれた息子──仮に名前を虎蔵としよう──は、えらいこっちゃ可愛い。病院で初めて対面した時は「おお、なんて男前なやつなんだ」と心底感動し、ヨメから「絶対に内密に」と釘を刺されていたのに、つい電話出演したニッポン放送で「今、生まれました!」と口走ってしまった。わたしはまるで知らなかったのだが、夫婦ともども(というか、特にわたしが)お世話になっているスポニチさんに第一報を伝えるという約束を、ヨメはしていたらしい。

 すべて、わたしが台無しにした。

 もちろん、そんなことを知るよしもないわたしは、手術室から出てきた我が子との対面を済ませるや否や、そのまま互いの両親とともに飲みに行ってしまった。会場は我が家。ご近所のダイエーで買い込んだお惣菜を肴に、秘蔵の日本酒を飲みまくっていた。スポニチさんがスクープという形でデカデカと紙面を開けておいてくれたこと、ニッポン放送での一言があっという間に広まってYahoo!ニュースでも大々的に取り上げられてしまったこと(人物検索ランキングの上位になっていたらしい)、スクープのはずだったスポニチさんが完全に肩すかしを食らってしまったこと(それでも大きく取り上げていただきました)──。

 何も知らずに飲んでいた。「十四代」だの「而今」だのを快調に飲んでいた。

 実は結構な出血をしてたらしいヨメの存在も忘れて。

 思い出すだけで冷たい汗がにじんでくる。我ながらひどい。ひどすぎる。青臭い小僧っ子ならまだ許されるかもしれないが、こちとら不惑を大きく越えた47歳なのである。それが惑いまくり、迷いまくり(つまり迷惑かけまくり)、おまけに飲みまくりなのだから我ながら始末に負えない。息子・虎蔵(仮)の誕生は、己が小物ぶりを痛いほどに感じさせられる契機ともなったのである。

 はあ、情けない…。

 いや、それはさておき(ヨメは未だにさておかせてはくれないが)、問題は、いつ見てもウチの虎蔵(仮)が可愛く見えてしまうということである。